別府・大分紀行2013

別府へ行くのは、中学時代以来である。
今回の旅行は、正直大義名分は特になかった。
毎年、草津を堪能している身として、かつて中学三年生の塾の卒業旅行で訪れた時の印象と今とでは何か違うだろうかというくらいで。
この旅行を決めた時は大分にジェットスターが乗り入れていると言うことが最初だったし、衝動でもあった。
むしろ、直前になってほかの選択肢はなかったのかと思うくらい、何も考えていなかった。
でも旅の思い出は、そんな予想を覆すところに醍醐味がある。
結論から言えば、今年の中で3本の指に入る思い出深い場所になっている。

平成25年12月14日土曜日

11月22日に
本日、往路のフライト時間変更の連絡がジェットスター航空より参りました。
若干ですが、以下のように変更になります。
12/14成田9:25発が9:50発になりますので、大分到着が、11:25予定でしたが
11:50着となりました。
と言うメールが届いた。
さして影響がないので、何時ものようにデイバッグにノートパソコンと着替えと資料を詰め込んで7時東京駅八重洲口発の東京シャトルへ乗車した。

時間的に余裕があったので、成田空港の店を散策。
どこを見てもやっぱり成田価格である。
とりあえずマクドで朝食がわりにフィレオフィッシュ・ハッシュポテト・アイスカフェラテM 560円を注文。
余裕をもって搭乗手続きを済ませた後、成田国際空港からGK603便は9:50発に離陸した。
東京は快晴だった。



残念ながら東京からの方位の関係でF席からは富士山見えず、機内放送では逆のA席から見えるとのアナウンスがあった。



それでも頭の中にある日本地図と眼下に広がる地上がマッチした時の気持ちよさは何度経験しても気持ちいい。

大分空港へは予定通り11:25着。
こちらも天候は良く、いつも通り、空港内で集められるだけのパンフレット類を収集した後
空港特急バスのエアライナーのチケットを購入した。
大分空港の場合、このバスは空港~別府間の往復が1450円のところ1250円×2になる。
12時発のバスに乗り込み、別府湾沿いに冬の海を眺めながら45分ほどで、別府北浜に到着。
初めての陸路による別府である。
というのも神戸から瀬戸内海に面している旅先には新幹線でもないかぎり船旅が定番だったからだ。

バス停のある別府北浜の案内所で、次の日に予定している高崎山自然動物園うみたまごの両方を入る入場料が
チケットモンキー・マリンチケットと言う名で3190円から2200円になることから取りあえず購入した後
昼食を摂るためにJR別府駅の方へと歩いて行った。

お目当ての店はとよ常という天丼で有名な地元の料理屋。



中に入ると13時を回っているというのに行列ができていた。
しばらくして、僕の後にも客が入ってきたが店内の接客の手際がいいので
順番通り空いた座敷席へと案内された。
ここは丼ぶりでもいいのだが、とよ常定食780円というのが目を引いた。
何はともあれ、豊後水道に来ているのだから、関サバ・関アジのいずれかが食べたかったのだ。



何も言うまい。見ての通り、これが美味しくないわけがない。
最初の食事が幸先いい結果だったので、思わずこの二日間への期待が高まった。

とりあえず14時半近くになっていたので別府北浜に戻り、この日の宿である西鉄リゾートイン別府へ付いたが
チェックインは部屋清掃がまだとのことでしばらくロビーで待っていた。
間もなくフロントから案内があって507号室に入った。
部屋は見ての通り、ユニットバスがついた典型的なビジネスホテルの一室。
ただ、今までのホテルと違うところはおんせん県を名乗るだけあって2階に大浴場があるところ。



いつも通り重い荷物を下ろしてノートパソコンとスマホの充電をしながら空港でかき集めたパンフレットに目をとおしていた。

別府は豊かな温泉資源を背景にした観光地、温泉保養地として明治時代の初期から発展してきた。
地形的には西の鶴見連山から東の別府湾に向けて南北に7キロの範囲の扇状地の中に温泉地や市街地が広がっている。
初めて全体像を見て訪れたので、想像よりもずいぶんと広い温泉地だと感じる。
そんな説明を見ながら、一休みした後、ガイドブックで一番に紹介されていた駅前商店街商店街を散策しに出てみたが
行ってみなければわからないのが、現実。

ガイドブックのトップに掲載されていた昭和の面影を残すにぎやかなはずの商店街がシャッターだらけである。
昼間であったせいだけではないだろう。
僕らが若いころ、大分といえば別府がその観光地の中心であったはずが、このありさまである。
しかし夜に確認したわけではないので、
その後、どこから湧いて出てくるのか、真夜中の地下道に何人もの人が通り過ぎて行った。

この後、鉄輪(かんなわ)温泉に向かうためバス停に並んだが、鉄輪行きのバスが来たというのに誰も乗ってこない。
観光客は僕一人だけなのかと思ったが、乗車した後に気付いた。
バスは国道に出たところで鉄輪とは逆の方向にバスはハンドルを切って進んでいく。
はじめはなんのことか理解できなかったが、バスの会社名を確認したところで気が付いた。
別府では大分交通バス亀の井バスという二つの会社が乗り入れている。
僕がホテルで確認していたのは大分交通バスであって、乗車してしまったのは亀の井バスだった。
前者が鉄輪温泉へほとんどまっすぐ行くのに対して、後者は別府の町沿いを一周する終点に鉄輪がある。
別府北浜から鉄輪温泉まで320円と案内所で聞いていたが、残念ながらそれは鉄輪温泉ではなかった。
正確には鉄輪(鉄輪待合所)と言うバス停で料金も330円だった。
致命的な間違いではないにしろ、ほとんど土地勘がない場所で勘違いしてしまうと少々パニクッてしまった。
結局、予想より20分以上遅れて目標であった界隈に到着したことになったが
目的地が地獄めぐりではなく、ひょうたん温泉という温泉場であるからそれ程影響はなかった。

NHKの21世紀に残したい日本の風景で富士山の次にランクインしたのが鉄輪温泉街から巻き上がる湯けむりの風景である。
その中でミシュランの三ツ星にも選ばれたのがこのひょうたん温泉とのこと。
入浴料700円を払って中に入ると、中庭があってここが休憩所として使われており、その庭を挟んで男湯と女湯の入り口がある。
脱衣所を通って最初の浴室に入ってみると、天井が高く、右手に露天風呂、すぐ裏に瀧湯があり広くて開放感のある第1印象。
室内風呂はもちろん、それ以外にむし風呂などがあり、3メートルから落ちてくる瀧湯に肩や首を合わせれば、程よいマッサージ代わりになる。



一通りの湯を堪能した後、中庭の休憩所でソフトクリーム300円を頬張りながら涼んでいると既に17時半近くになったので
外へ出たら日は沈み旅の空はすっかり温泉街の夜を迎えていた。



分かりにくい大分交通バスの停留所・鉄輪温泉から別府北浜まで25分。
18時から予約していた店には20分遅れで到着。
すると何の手違いか、2階に案内され姉妹店の炭火焼き 楚々 ~SOSO~へと連れていかれた。
そして案内されたのが窓際から外を向いたカウンター席に...。
さすがにこれには愕然としたが、腹も減っていたし、とりあえず寒空の中、別の店を探す余力もなかったので
タコわさと串焼きを注文し、クーポンで1杯目にレモンサワーを飲み干した後、酔いが回るまで焼酎のロックを4、5杯飲んだ。

  

確かにネタも酒も旨かったが、忘年会だらけの中で落ち着いて飲めるような店ではなく3450円を払ってそそくさと次の店を探した。
すると昼間に見つけていた博堂村というライブハウスが目に入ったので、酒の勢いも手伝って、中に入ってみた。

するとそこはまさに昭和フォークの演奏が次々に登場し、明らかに僕と同世代か少し上くらいのおっさん達が、入れ代わり立ち代わり歌っているのである。
恐る恐る隣の人に聞いてみると、この日が博多や臼杵からも集まった、ライブハウス出演者の忘年会の日だったのだ。
僕はチューハイを2杯×1000円飲みながら、不思議な空間で静かに聴いていたら、20時になった時点で
「はい本番終了!」という掛け声がかかり、みんなが一斉に椅子を車座にして「それでは忘年会の始まりです!」と声がかかった。
何事かとあっけにとられていたら、ママさんらしき人から「あなたも参加したいのなら会費2000円でいいわよ!」と言われ、なすがままに居残った。
兎に角、ミキサー担当の人の横に座り、事情を聴いてみると、この店の名前の由来が別府出身のミュージシャン故・大塚博堂からつけられたものらしく
まさに、別府にあるコタンのような店で、僕らの年代の出演者が第2土曜日に歌っている仲間らしいのだ。
そんなこんなで、店内は禁煙のため、踊場でいろんな人達と話していたら「それならば歌ったほうがいい」ということになり
ソロで「なごり雪」と「そんな暮らしの中で」をやらせてもらった。
「なごり雪」はうけたけど「そんな暮らしの中で」はちょっとマニアックだったので、この歌だけで客席に戻り
ミキサーの方やママさんの娘さんなど、いろんな人と話をしていた。

ママさんが歌いたい「酒と涙と男と女」が始まった時、伴奏に担ぎ出された女性がうまく弾けないようだったので
バックから僕がギターでサポートしていたら
「やっぱりこの歌にはギターがいるね!」みたいな掛け声がかかり、どんどんのめりこんでいった。
そして、トリの方がミキサーをやっている人だとわかり、「何をやるんですか?」と聞いてみるとの「お前だけが」とのこと。
それではと名乗りを上げてピアノサポートをするために再び舞台の上へ。
そして最後が「22才の別れ」と聞かされて、音色をエレピに切り替えてこれまたサポートをやってしまった。
なんのことはない。ここ大分は南こうせつと伊勢正三の故郷ではないか!
ありえない神様からのプレゼントに、沈んでいた気持ちが一気に吹き飛んだ夜となった。
残念なことにこの一番記憶に残る時間が映像として残っていないことだ。

打ち上げ終了後、オーナーママさんと写真撮影して頂けたのが唯一残る写真となった。

「また歌いに来てね。」という嬉しい挨拶をかわしながらお開きになり
午前0時を回った別府の道をホテルのある北浜のほうへと歩いていき地下道に入った。

すると柔らかい声でこのくそ寒い中、路上ライブを一人でやっているやつがいるではないか。
しばらく酔いを醒ますついでに壁にもたれて聴いていたら、結構まともである。

どうやら19歳で別府に住んでいる地元の青年であるらしく、昭和歌謡や昔の歌が好きだとのこと。
「たとえば?」とふると「津軽海峡・冬景色」を歌いだした。
「それならば何故、博堂村でやらないのか?」と聞いたけど答えにくそうだったので話をずらした。
「東京に行く気はないのか?」と聞いてみたら、どうやらこの1年、福島も含めて日本中回ってきたらしい。
僕の周りではよく聞く話である。

 

そんな話をしながら、立ち止まっていたら、この地下道で深夜まで人通りが途絶えなかったのは、この界隈の会社で、忘年会のピークだったからだった。

暫くしてKさんという豊後高田市で自動車販売をされている社長さんが、完全に出来上がった状態で
「いちご白書をもう一度」を歌え歌えと治まらなかったので、大河くんにギターを借りて、僕が1番だけを熱唱した。
「これでいいですか?」と言ったら、その場に居合わせた僕以外の三人は一瞬目がテンになっていたが、当たり前のこと。
この歌なら中学の修学旅行のバス内でフルコーラスを歌えたのだから、海馬の中にしっかり刻み込まれているし、
勿論、これでもお金を貰う場で歌ってきたプロなのだから。
そうするとこの北崎さん。
連絡先を交換したいと言うので、貰った名刺の携帯番号にかけてすぐ切り
「これが僕の電話番号です。」として名前を教えた。
すると、「今度大分空港に着いた時は、ぜひ迎えに行かせてほしい。」と言い出し
大分では有名らしい豊後高田の祭で、幹事をやっているから歌ってほしいと言い出した。
流石に酔っぱらっているからと言って口約束でもいやなので
「それならこいつを出してやってよ。」と、たいが君に振ってみたが、まったくそれには取り合わない。
まーしばらく話を聞いて、こっちの酔いがさめた頃、Kさんも流石に眠たくなったのだろう。
「それじゃあ待ってるよ。」とかなんとか言いながら、海岸線側の出口へと消えていった。

気づいたら午前2時を回っていたので、さすがに次の日のことを考えて部屋に戻り
予想だにしなかった別府での音楽天国に感謝しながら眠りについた。

平成25年12月15日日曜日

不思議な初日をぼんやり思い出しながら7時15分に朝風呂を浴びたくて2階の大浴場へ。
そして目が覚めた7時30分に朝食を摂るため1階のレストランへ。
これはモーニングサービスとして無料であるが、ビッフェ形式で和洋一式がそろっている。

そしていつものようにサンデーモーニングを観た後、チェックアウト。

別府北浜で大分行のバスに乗り、高崎山・うみたまごを目指した。
たどり着いた場所は別府湾から右に大分市、左に別府市を望む海岸通りの公園で両都市のちょうど中間地点。
この国道名をググっていたらこんなYAHOO知恵袋が...。



話は元に戻して、国道10号線とJR日豊本線の上の橋を渡ったら、高崎山自然動物園である。

高崎山の麓にある万寿寺別院の境内に、高崎山の山中に生息する野生のニホンザルに餌付けを行う猿寄せ場が設けられており、
観光客は檻を隔てずにニホンザルの姿を見ることができる。
要するに折に囲まれた動物園ではなく、本来サルが住んでいる地域を観光地にしたのである。

何がそんなに面白いかというと、餌付けをしている飼育員さんのプロ顔負けのMCだ。
完全に猿回し芸の領域に達している説明をしながら、このサルたちの歴史と、個々のサルの上下関係、それに行動傾向など飽きることなく演出してくれる。
勿論、個々のサルとコミュニケーションをとりながら僕らでは決して見分けられないサルを完全に見分けて見せてくれるのだ。

   
   


30分以上は楽しんだ後、流石に海風が吹く外は寒く、昼食としてだんご汁定食を摂取。1000円なり



温まった体のまま公園で野外コンサートを鑑賞しながら喫煙所で一服。


そして次がうみたまご
説明はしません。
写真の通りで癒されます。

   
   
   
   
   
   


この二つを堪能した後、初めての大分へ行くバスを待っていたけど
海風がきつくて、想像以上に寒かった。


そして大分到着後は、まず大分城史跡巡り。
大分駅から徒歩15分くらい。
これも詳しくは書きません。
リンクの通りでした。

   
   


観光客としてはほとんどが別府や湯布院に行く大分県であるが、
県庁所在地である大分市内の規模はやっぱり都会です。
御多分もれずアーケードを散策。
やはり、シャッターの多い風景がちらほら。

癖になっている地方での保養、リラックス大分でボディケア40分3200円なり。
なぜこんな中途半端な時間を選んだかは、空港行きのバスに合わせたためである。

ケアを受けながら別府が思ったほど賑わっていなかったことを話すと。
「そうなんですよ。
 最近は湯布院へ行かれる方が多くて。
 ブランドになって高いだけなのに。」とのこと。
行ったことがないから、コメントはしなかったけど、確かに湯布院で格安旅行は選択肢にはない。
身体がほぐれた後、アーケード街を抜けたらすっかり夕刻が迫っていて、大分駅前のバス乗り場まで急いだ。



空港行きバスは予定通りに乗車でき、大分空港へは余裕をもって到着した。

そして最後の晩餐は大分名物ねぎ味噌ラーメン
こんな寒い夜にはこれが一番。



大分空港 19:45発 →成田国際空港 21:25着

帰りのバスは東京シャトルではなくあすか交通という別会社のバスになる。
1000円と東京シャトルより100円高いが、実は東京シャトルとは違うルートを走り、首都高の夜景を観るならこちらのほうがいい。
しかし、停留場が同じ八重洲口でも東京シャトルのほうが10分くらい日本橋駅に近いから帰宅時間はあまり変わらない。

そして、不思議な旅から帰宅したら23時半を回っていた。

おしまい