鹿児島旅行2013
鹿児島へ行きたいと思ったのは、永遠の0を読み終えた時だった。
鹿児島というより、正確には知覧をこの目で確かめたかったからだ。
知覧には知覧特攻平和会館というものがあり、元は特攻が行われた飛行場があった場所である。
そこには、当時特攻に使われた飛行機とそれに搭乗していった兵士の手紙と遺品が残されている場所だったから。
ただ、ブログに何度も書いたが、決して戦争に対する単純な好奇心からではない。
かの戦争が風化する中において、少なくとも一度は歴史の教師になろうとしたことがあった自分を顧みた時、
記憶しておかなければならないと感じたことが第1の理由だった。
もう一つは明治時代の立役者が住んでいた地理的に重要な場所を確かめたかったからである。
残念なことに、鹿児島へは頭の柔らかい高校時代に修学旅行と友人との旅で2度訪れていながら
近代史なんぞ二の次で、享楽的な学生時代を送ってしまったことに対しての後悔を払拭したいという気持ちもあった。
ただ、今になってやっと訪れる気持ちになったのは
LCCが普及したことと、それに伴って旭川と同じくHISが企画する国内ツアーを利用すれば、
一昔前までは贅沢だった国内便を利用した旅も帰省するくらいのお金で実現できるようになったからだ。
勿論、くそまじめな気持ちだけでなく、大人になってからわかるようななった郷土料理の魅力や
普段息が詰まりそうになる東京暮らしから抜け出したい衝動が続いていることもある。
平成25年12月1日日曜日
快晴
羽田空港8:40発のSKY301便は定刻通りテイクオフ。
幸運なことに窓からは、雪をかぶった富士山がくっきりと見て取れた。
鹿児島空港へは予定通り10:40に着いた。
鹿児島は奄美大島などの島々を持っており、
海外便へもソウルまで90分、上海まで100分、台北まで120分といった便が毎日あるせいか、空港は若干広めである。
ここから知覧へ行くには、まずリムジンバスに乗り40分で鹿児島中央駅へと向かう。
バス代は1200円とやや高めである。
鹿児島中央駅到着後、バスターミナルで特攻観音入口生きのバスに乗り換えて、さらに南へと進むことになるが
朝飯も食わずに部屋を出てきたので、とりあえず昼食をとるため、地下街にある左膳バスチカ店い言う天ぷらとお蕎麦の店に入った。
ちょうどお昼時ということもあって、天とじランチ980円を注文。
空腹も手伝ってか、大変美味。
帰ってきてからわかったけど、この店は本店が鹿児島であるが、東京にも銀座支店があるとのこと。
ランチの料金も変わらないのでお勧めである。
ところがこの昼食時間がこの日の誤算だった。
特攻観音入口生きのバス乗り場で時刻表を見たら、ちょうど出発したばかりで
次のバスまで1時間以上待たなければならなかった。
仕方がないので、この日に泊まるホテルを確認するのも含めて市電の走る方向へと歩いて行った。
すると5分も歩かないところにヤシの木を後ろに大久保利通銅像を発見。
思わぬところで、鹿児島に来た実感がわいてきた。
そして、その対面に予約しておいた鹿児島東急インにたどり着いた。
とりあえず今夜の帰りが遅くなることを告げに行ったらチェックインが可能だとのこと。
これはありがたい。
何しろ背中にはいつも通りノートパソコンと旅の資料と着替えを抱えているので手ぶらで出歩くことができる。
すぐに手続きを済ませて623号室へと入った。
残念ながら部屋の写真を撮り忘れたので、はっきりとは覚えていないが
少なくとも、旭川の時のような空調が部屋毎に調節できなかったこともなく、快適であった。
パソコンの設定とスマホの充電を終えて一服した後、
再びバスターミナルまで戻り鹿児島中央駅発 特攻観音入口行きのバスを待った。
しばらくして10分弱遅れでバスがやってきたが、乗客は僕ひとりだけである。
いくらなんでもそれはないだろうと思ったが、その理由が後でわかることに。
特攻観音入口までは1時間20分かかる。
バスの中では前日の寝不足で、うとうとしていたが、あまりにも揺れる道を走っていくので熟睡はできなかった。
終点から徒歩で5分ほど歩くと知覧特攻平和会館にたどり着くとホームページには書かれていたが、
会館への道筋が分かりにくく10分以上歩いたような気がする。
しばらく歩いていると視野に戦闘機らしきものを発見。
型式はわからないが明らかに太平洋戦争当時の戦闘機である。
これを見つけるまで不安であったが、この飛行機にたどり着いた左手に会館の入り口を発見しほっとしたと思ったら
すでに16時近くになっており、閉館の17時まで急ぎ足で見学する羽目になってしまった。
すぐさま入場料500円を払って駆け込んだら、結構な賑わいというか、見学客がいるではないか。
帰りにわかったことだけど、来た時にはなかったバスとガイドらしき人がいたのでどうやらツアー客の団体であったのだろう。
館内では撮影禁止なので、残念ながら画像をここで見せることはできない。
まずロビーでは、知覧飛行場の歴史を紹介するビデオ映像や、ここに訪れる直前にDVDで観た映画月光の夏で知られるフッペルのピアノ等が展示してある。
勿論、触ることはできない。
その奥に中央展示室があって、ここには、陸軍沖縄特攻作戦で戦死した1,036名の隊員の遺影が出撃戦死した月日の順に掲示されている。
テレビでは見たはずであるが、実際の遺影と立体ケースの家族・知人に残した遺書・手紙・辞世・絶筆などを拝見してみると、不適切な表現かもしれないが異様なまでの臨場感がある。
勿論、当時検閲があったわけで、今の時代と単純比較すべきでないが、死を前に書かれた文面には圧倒的な気迫が迫ってくる。
この部屋には陸軍三式戦闘機「飛燕」が展示されているが、明らかにこれは戦後復元されたものでる。
その後、何度も映画化や特攻を描いた舞台に登場する富屋食堂の鳥濱トメさんをはじめとする生き残った人たちの証言映像「残された者から」、
当時の知覧飛行場を再現した模型「知覧の空」、当時の様子が記録された映像「出撃から突撃」などが観られるのだが、残念ながら時間がないので次回に持ち越すことにした。
次の部屋の疾風展示室には陸軍四式戦闘機「疾風」(複製)と飛行服・整備兵作業服等が展示されている。
知覧基地には疾風30機が駐留し、特攻機の直掩・誘導や邀撃にあたったもので、沖縄戦では特攻機にも使用されている。
この戦闘機は宮崎県都城東・西両基地を中心に出撃し、118機が未帰還となっているらしく
そのうち知覧基地から4機出撃し2機が未帰還となったとのこと。
次の部屋の隼展示室には陸軍一式戦闘機「隼」(複製)と海軍水上特攻艇「震洋」(複製)が展示 してある。
DVDで映画出口のない海を見たことがあるので人間魚雷回天なら知っていたが、震洋は初めて目にした。
というかその存在は知らなかった。
要するに、水上特攻兵器としてべニア板で作られたボートである。
そして一番の目的であった零戦展示室に入ったのだが、これは一瞬目を疑った。
これまでの展示品がすべて複製か復元のものであるのに対し、これだけは実物だった。
この零戦は、鹿児島県甑島の手打港の沖に海没していたものを知覧町(当時)が昭和55年6月に引き揚げたものとのこと。
機体は35年間海中にあったらしく、無残な姿でるが、これこそが本当の零戦である。
そしてこれだけは屋外から撮影できるようガラス張りになっていた。
それがこの写真である。
本物と同じ機体の復元機は探してみるとけっこう多いが、このような形で展示されているのはここだけかもしれない。
駆け足で会場内を見てきたが、本来はもっと資料をゆっくりと見回るべきものだろうという気持ちで外へ出たら
目に入ってきたものが三角兵舎だった。
これは、特攻出撃隊員がアメリカからの空襲を逃れるために作られた宿舎の復元で、中に入ることができる。
ここを訪れた後、既に17時を回っており、帰りのバス停まで向かうことにしたが
何とも中途半端な訪問だった。
しかしながら、来た時のことを考えると、帰りのバスがあるのかさえ調べてなく
慌てて帰路についたのであるが、乗ってきたバスが止まっている場所にはバス停がない。
すぐさま踵を返し、まだ空いている観光客用の店に駆け込んで聞いたら道を挟んで真向いにあるとのこと。
恐る恐る時刻表を見たら、なんとか15分後に鹿児島中央駅行があるではないか。
クタクタになった状態でバスに乗り込み、なんとか鹿児島中央駅までたどり着いたら20時近くになっていた。
ここは流石に誰かと話がしたいと思う状況ではなく、前日に調べておいた店のうち黒豚料理 寿庵 バスチカ店に入ることにした。
時間も時間なのでとりあえず、ぐるなびクーポンでバラカルビ焼きを注文。
それと考えるのも面倒くさいので塩しゃぶおごじょコースと焼酎の赤兎馬を注文。
しかしこれまた誤算だったのが、ぐるなびクーポン!!!
ガラス越しに厨房で焼かれているものこそバラカルビ焼きで、これだけで料理はいらないほどの量ではないか。
さすがに後から登場する物を想定して、とりあえず半分だけ口にした。
すると予想通り、まずはサラダと特製ドレッシングの登場
大量なり
そして香物
前菜三種盛り合わせ |
黒豚しゃぶしゃぶ肉 |
季節の野菜 |
しゃぶしゃぶはこれで潜らせて |
特性ハーブ塩六種に漬けていただきます。 |
その後、お楽しみ塩ラーメンも同じくしゃぶしゃぶに |
締めは、じゃこ山椒ごはん |
季節のデザートはメロンでした |
これがお肉少な目の女性用コースとは、いったい鹿児島県人の胃袋はどうなっているのだろう。
焼酎の赤兎馬も2杯頼んだが、さすがに喰いきれないし、酔いきれなかった。
結局、9時半過ぎに会計をしてもらい、5,355円なり。
正直、こんなクーポンは要りませんでした。
満腹状態と疲れた体を引きずって、ホテルに着き、シャワーを浴びた後
次の日のため、即ベッドへ。
平成25年12月2日月曜日
7:30朝食を摂るために1階のレストラン「シャングリ・ラ」へ。
これまたいつも朝の鈍い頭のまま行ったのでスマホを忘れ映像なし。
内容は和洋ブッフェで、記憶も不確か。
ただし、絶対に不満はないものだったはず。
食い意地が張っているので、朝食が値段相応でなかったら絶対に忘れないから。
8:00からいつも通りサンデーモーニングを観た後、10:00にチェックアウト。
二日目はいつも通り、街に繰り出す予定。
まずはJR鹿児島中央駅構内にある鹿児島中央駅総合観光案内所にて市電・市バス・シティビュー一日乗車券を購入。
そして市電に乗り朝日通りで下車。
目的はベタであるが、見たことのない西郷さんの銅像。
そこに至る前に小松帯刀こと肝付尚五郎の銅像を発見。
そして城山方向に目を向ければ西郷どんではないか!
そしてこの銅像の前の歩道橋を渡り、右手に歩いていくと鶴丸城への入り口があり
黎明館へと思いきや...
休館ではないか!
しかも毎月曜日とは、つくずく下調べをしていなかったことに腹が立つ。
仕方がないので振り返ったら、またもや銅像発見。
天璋院篤姫ではないか!
これって大河ドラマの前からあったのだろうか?
しかし、銅像めぐりがしたいわけではない。
銅像は西郷どんと大久保利通だけでもいい。
とにかく黎明館が見られないのなら鶴丸城には用はない。
「人は城なり」と言われるだけあって、77万石の大名の城としては天守など高層建築や高石垣などは築かれなかったので。
ここまで来れば城山展望台を目指すしかない。
これが結構な道のりである。
途中、西南戦争で西郷どんが最後を迎えた洞窟もあるが、そんなに興味がないので通り過ぎたところで
一台のバスが通り過ぎ、「シティビュー城山展望台行き」と言う後姿...。
えっ!どこからそんなバスが?
考えても仕方がないので、一路展望台を目指して徒歩を続け、
たどり着いたらこの絶景!
錦江湾と桜島がこの通り!
城山展望台では観光客がいっぱいいて、やっぱりカメラマンを頼まれてしまった。
別に減るもんじゃないから快く引き受けたが、ここで今後の旅のために逆転の発想が。
要するに出会った人に話しかけるきっかけとして、
「お写真でもお撮りしましょうか?」と、こちらから言ってしまえばいいのだ。
この心持ちさえあれば、気持ちいい一人旅に代わるのだ。
さて城山展望台もこの景色さえ観れれば、何もない。
それと悔しいかな、折角買った一日乗車券にシティビューも含まれているのだから、これに乗らない手はない。
というか市内観光をするなら、是非利用すべきである。
この循環バスさえ知っていれば、ほぼ市内の主だった所を乗り降りできる。
こんな浜辺からの桜島も観られなかったのだから。
そしてシティビューでは市内一番の繁華街である天文館下車。
昼飯を食っていなかったのでこむらさきらーめんへ。
そして覚えておきたいのは、KAGOSHIMA City Viewというフリーペーパー。
これは鹿児島中央駅総合観光案内所で手に入り
持って行ったガイドより的確に地元で訪れたい箇所がわかる。
そしてこれについてくるのがクーポン!
「鹿児島ラーメンは高い」と一般に言われる。
しかしこれを店で見せたらラーメン100円引きのため850円になる。
注文後しばらくして登場したのがこれ↓
この店、厨房を囲むように、コの字になったカウンターがあって調理過程が一望できる。
量は、茹でたキャベツががばっと乗っているので多め。
チャーシューと椎茸が同じ色でパラパラと入っている。
すべてトッピングした後、最後にスープを入れる。
麺はかなり細くて食感もそうめんかビーフンのよう。
スープは豚骨ベースで、鶏ガラや野菜に加え煮干や昆布や干し椎茸などの乾物も使う半濁スープである。
鹿児島ラーメンは地理的・歴史的な要因から九州のラーメンの中では唯一久留米ラーメンの影響を受けていないと言われ
この店も台湾華僑が故郷の麺料理をアレンジして完成した経緯がある。
確かにこの種のラーメンは食べたことがない美味だった。
腹も膨れたところで、天文館を通り過ぎたところに巨大な鳥居がある。
ここが照国神社で幕末史に欠かせない島津斉彬を祀っている。
旅の無事を祈って参詣した後、市電の方向へと戻り、リラクゼーションひだまりへ。
これもKAGOSHIMA City Viewで見つけた店でボディマッサージ(60分)が2,990円とある。
これは安いというか、やっぱり東京の相場は高い。
東京の相場では60分5,500円~6,000円である。
15分くらい待たなければならなかったが、これは当たり!
接客対応から気持ちがよく、施術では的確に凝り固まった個所を見つけて解きほぐしてくれた。
残念なのは、年内お得なチケットが用意されていたが、流石にそれはない。
身体も楽になったところで天文館通り全体を散策したが、ここも地方都市の例外ではなく、一筋奥に入ると人影まばらになる。
高度成長期に作られたアーケード街はどうしてこうも滅びる一方なのだろう。
何もかもが東京に集中しすぎているのだ。
これでは誰も地元で就職したいと思っても雇用が減るばかりだろう。
ほぼ散策しつくしたところで天文館駅から市電に乗り鹿児島中央駅下車。
JRの駅コンコースへ深く入ったら結構な人だかりである。
しかし殆どが、観光客だと思う。
実際に人が立ち止っている店は土産物屋なのだから。
僕は駅構内の一番奥にあるビックカメラでカレンダーが手に入ればと思い寄ってみたが置いていなかった。
来年分はもう手に入らないのだろうか。
一通り行きたい所は生きつくしたのでちょっと早めにリムジンバスで鹿児島空港へ。
晩飯用にかつお飯800円購入。
空港の3階には展望デッキの手前にピアノが置いてあり、しばらく触っていなかった鍵盤をポロポロ弾いていたら人が集まりだしたので
子供たちに席を譲った。
そしてこれまた恒例になってしまったソフトクリームを購入。315円なり。
SKY308は鹿児島空港17:55に飛び立ち羽田空港へは予定通り19:30着。
帰宅したのが21時前で、晩飯用に買ったかつお飯を食べる。
下調べ不足だった反省はあったものの、学生時代には全く経験していなかった鹿児島を発見できた旅になった。
おしまい