臨床心理学の理論と方法 2016年7月8日(金)10:40〜12:10 森田療法 森田正馬Morita,Masatake(1874-1938)高知県出身 森田神経質に対する精神療法である森田療法の創始者である。 1902年東京帝国大学医学部卒業後、大学副手 1903年-1937年東京慈恵会医院専門学校の"精神医学"の講座を担当 日本において神経症の概念も明確でなく、治療法が確立されていなかった1920年代に、神経衰弱と呼ばれていた患者群の大部分が神経症(森田神経質)であることを明らかにし、森田療法を開発した。その中身は森田の独創的な考案ではなく、神経症に対して有効とされていた国内外の治療法を取捨選択して科学的に組み合わせたものであるとされる。森田自身、青年期に神経衰弱症状に悩んだが、自棄気味に「死んでもかまわん」と無茶な勉強をしたところ、治ってしまったという経験が大きな影響を与えたといわれている。現在ではうつ病に適用されている。 (2014,臨床心理学頻出キーワード&キーパーソン事典,心理学専門校ファイブアカデミー(著))より ちなみに、フロイト,S.の生涯が1856年〜1936年であることから、ほぼ同時代を生きた精神科医である。 森田療法Moritatherapy 森田は「ヒポコンドリー性基調(神経質性格)を基盤として、精神交互作用(心身の不調に注意を集中することによってさらに主観的苦悩が増大する)が発展し、その結果として神経質症となる。」という。 治療の目標は、精神交互作用を生み出す「とらわれ」と「はからい」を脱して「生の欲望」の発揮(自己実現)に向かっていくことにある。治療の実際は、最初の1週間はが臥褥(がじょく)期でいっさいの活動を禁じて"不安"への直面と活動意欲の活性化を図る。以後は軽作業期、重作業期、生活訓練期と経るなかで、「気分本位」から「目的本位」への変換をめざす。具体的には、まず不安があることを自然な事実として「あるがまま」に受け止め、心身の不調や症状がある状態のままで、作業など具体的な行動を実行していく。「この症状さえなくなれば...」(防衛単純化)という考えで動けなくなっている患者は、行動するなかで症状から注意が離れている瞬間を体験し、回避していた問題にも直面するようになる。治療者の態度としては「不問的態度」(原因や理論などを追求しない)が用いられ、日記を使用した指導が行われる。 森田療法は明治から昭和前期にかけての日本の思想・文化を母胎とした治療法で、禅との類似性も指摘されるが、その一方では時代・文化を超えた普遍性をもつ治療法として現在も発展中であり、海外にも近年広がっている。その後の森田療法の発展・変化としては@治療場面の治療者宅(森田正馬など)から医療機関への移行、A入院適応でない患者に対する外来森田療法の発展、B自助グループの発展(生活の発見会)、という流れがある。また、"森田神経質"以外の対象への適応の拡大も試みられている。海外においては、アメリカではレイノルズ(Reynolds,D.K.)による「建設的な生き方」(constructiveliving)が、カナダではイシヤマ(Ishiyama,I)による外来森田療法とカウンセリングとの統合的治療が、中国では日本と同様な形での入院・外来森田療法が行われている。 (1999,桜井公子,心理学辞典,有斐閣)より 治療の神髄 思想の矛盾 恐怖や不安を覚えるのは心身の自然な現象なのに、これを自分の意思でどうにかしようとするのは「思想の矛盾」といえる状態。 かえって不快な感情、症状に注意が集まり、不快感が強まってしまう。 発想の転換 恐怖や不安は打ち消しようがないが、自分の行動は自分の意思で変えられる。 目の前のやるべきことを淡々とやっていれば、不安な気持ちなどは自然と変化していく。 (2007,北西憲二(監修),森田療法のすべてがわかる本,講談社)より 治療の原則 自分の陥っている悪循環を知る 行動の裏にある欲望と恐怖に着目する 薬に頼らず、考え方や行動を変える。(場合によっては薬を使う) 「できること」、「できないこと」を知る 反応・再生・適応という3つの回復プロセスを知る 治療のゴールは「あるがまま」の自分 (2007,北西憲二(監修),森田療法のすべてがわかる本,講談社)より 受診 森田療法は専門医のもとで受ける(精神科・心療内科ではなく専門医へ) (自助グループに連絡をとるのも手) 治療開始前に適応の有無、本人の意思を確かめる 入院療法 臥褥(静かに寝ていること)療法 当初、それまで持ち続けてきた不安が頭をもたげ、煩悩・葛藤に苦しむのであるが、2,3日を経て心身が安静の状態になり、一人で無為の環境に置かれても、何も起こらなかったのっだということが確認されると、そこで安心が得られ、いこうら自分が孤独な場に置かれても、それまでに考えていたような極限状態には立ち至らないのだということを体験させられる。 (1986,岩井寛,森田療法,講談社新書)より 軽作業期 臥褥期を通じて盛り上がった「生の欲望」を、そのまま日常生活における作業に移し替えていこうとするもので、エネルギーを全部出し切らずに抑えて、やや欲求不満状態にしておくのがこの期の療法の特徴。 日常作業期(重作業期) 最近はレクレーション活動が多い もちろんこの間に被治療者は、従来持ち続けた症状に苦しんでいる。 生活訓練期 病院から会社や学校に通う。 よき行動の習慣化=態度形成 入院と外来の違い 具体的な日常生活上の指導ができない 外来療法(日記療法の例) 自助グループ 医療の場と連携し、お互い助け合うグループ NPO法人「生活の発見会」 (財)メンタルヘルス岡本記念財団 三省会 体へのとらわれ 身体症状よりも、行動に意識を向ける 体に現れる症状も森田療法で回復できる 不安へのとらわれ 不安が不安をよび、死の恐怖に襲われる 不安から逃げず、恐怖に飛び込めば楽になる 観念へのとらわれ 「60点主義」で満足して生活する 対人関係の恐怖 人前で緊張する自分を、そのまま受け入れる 対人関係への依存 自分自身を信頼して生き直す 不登校・ひきこもり 治療を焦らず、日々の生活でできることから ターミナルケア 悲しみ、不安、恐怖を無理に打ち消さない "したいようにする"のが「あるがまま」ではない。一人前の人間として、人生に対する方向性を見出して行動する時に、希望と同時に生じてくる不安や葛藤を"そのままに認め、受け入れる"ことを「あるがまま」という。 (1986,岩井寛,森田療法,講談社新書)より 大人から見れば「あるがまま」と「わがまま」は一目瞭然 30歳,40歳ともなれば..."私"から、私が行かされている"社会"へと指向し、そこで単なる私の"小我"を離れて社会的自己実現の"大我"へと自らが向いていくのである。 (1986,岩井寛,森田療法,講談社新書)より 「自己実現」とは本来あるべき自分に気付いていく過程 神経症の発症説 森田説:病症=素質×感動事実(一般の恐怖)×機会 フロイト説:病症=感動事実(しかも性欲の)×機会 主因となる生得的な素質=森田神経質 (1986,岩井寛,森田療法,講談社新書)より 森田神経質と呼ばれる、自己内省的、理知的、ヒポコンドリー的な素質をもち、そのうえで、あるきっかけ(機会)から病的状態が起こる一群に効果がある。 逆に、感情過敏的、外向的、自己中心的であるというヒステリー素質のうえに起こるヒステリーには効果がない。 また、幻覚妄想をもつ心因反応や、抑制力の欠乏した意志薄弱者、反社会的な精神病質などにも、同様に効果が期待しにくい。 (2015,高橋美保,下山晴彦,よくわかる臨床心理学,ミネルヴァ書房) 神経質(症)とは 日常者は不安・葛藤を持ちながら、過酷な現実生活の軋轢に耐え、日常生活を前向きに過ごしている。これに対して、「神経質」といわれる者は、症状があるから人と話せないとか、症状があるから思考を前へ進めることができないとか、あるいは、症状があるから身体のことが不安で日常生活ができないとか、何らかの理由を付して現実から逃避してしまう傾向がある。...つまり、「神経質」に悩む人間は、反社会的ではないが、社会生活に背を向ける意味で非社会的といえる。 (1986,岩井寛,森田療法,講談社新書)より 神経質(症)の治療は、西欧における精神療法とは異なり、症状を取り除くことではなくて、それを人間性の一部、あるいは現象そのももとして受容できるような人格を、日常行動を通じて獲得せしめる点にある。 (1986,岩井寛,森田療法,講談社新書)より 「とらわれ」とは 人間はあることを考えながら、同時に多様な観念が浮動している。この人間本来の原則を否定しようとするところにその根源がある。生きている限り、自然に頭に浮かんでくる観念を止めることはできない。そこで、観念は浮かぶままにしておき、ただ過去における楽しかったことや、これから旅行に行こうということなどを想起することはできるのであるのだから、少しでも楽しい考えを浮かばせるようにしておくのがよい。 (1986,岩井寛,森田療法,講談社新書)より 「とらわれ」からの脱却 まず第1に、人間としての自由を取り戻すために、懸命の努力がすることが大切である。そのためには、まず他者や治療者の声に深く耳を傾ける必要がある。 (1986,岩井寛,森田療法,講談社新書)より 人間としての原点 症状をあるがままに、目的本位の行動をとることは、それまでの自己存在とは異なった存在の仕方をすることになる。そこで、そうした行動が一つ一つ一つ一つ積み重なっていくと、性格の二次的要因が変化し、不安を持ちこたえ、症状に振り回されず、苦悩にとらわれない自己の二次的性格が形成されていくのである。これが"自己陶冶"である。 ところで、森田療法を受けた被治療者の中には、森田療法によって自分の人格が完成し、特殊な人間になったのだと自負する人がいる。これはまったくの錯覚である。神経質(症)の「とらわれ」から脱しても、我々日常者の前にはいくつものとらわれなければならない要素が潜在している。人間はその一つ一つの事象に直面していかなければならない。この限りでは、人間は死ぬまで何かにとらわれつつ、さらに「とらわれ」から脱してより広い世界に開眼していくという努力をくり返さなければならないえだろう。 (1986,岩井寛,森田療法,講談社新書)より 人間としての自由へ 神経質(症)の「とらわれ」から脱して、自己確立ができるようになると、他人を配慮する目や、社会や文化に対する目が大きく見開かれるようになる。つまり、自分が生きていることが自分一人で生きているのではないということに気付かされるのである。 (1986,岩井寛,森田療法,講談社新書)より 森田療法から理解する岩井寛の人間観 人間は常に不条理な世界を生きているのだから、どの道を選んだら最善であるのか考えていただけでは永久にわかるものではないので、良いと思った目的に自分を投げ出してみる以外にない。 (1986,岩井寛,森田療法,講談社新書)より 他の精神療法との違い 内観療法:内省重視←→森田療法:行動重視 精神分析:内省重視←→行動療法:行動重視 精神分析との違い 治療同盟を作って、ただ単に言語的なやり取りをするものではない。 行動療法との違い 行動を重視する治療法であることに相違はない。 外来の場合病院で話し合ったことを、日常生活の中で実践していくことが重要なポイント。 →日記療法→CBTのコラム表に近いのでは? →学習理論的に言えば、「消去」ではなく「分化」が目標? 森田療法の今 近年では、森田療法は認知行動療法との共通点が指摘されており、世界的な注目を集めている。特に感情体験における認知の重要性に早くから着目していた点は、極めて先駆的であるといえる。 (2015,高橋美保,下山晴彦,よくわかる臨床心理学,ミネルヴァ書房) 森田療法は日本で唯一オリジナリティのある療法として評価されておりますが、精神医療現場ではほとんど利用されてません。 ジャスコだったかの会長さんの岡本さんが神経症になられ、森田療法で、よくなったとのことで、財団を作られ、普及につとめておられます。(野田先生) 調べてみると、現時点で近畿地方で森田療法の専門医は皆無でした。専門医は圧倒的に首都圏に集中していますねえ。(原) 引用文献 2014,臨床心理学頻出キーワード&キーパーソン事典,心理学専門校ファイブアカデミー(著) 1999,中島義明(編),子安増生(編),繁桝算男(編),箱田裕司(編),安藤清志(編),坂野雄二(編),立花政夫(編),心理学辞典,有斐閣 2007,北西憲二(監修),森田療法のすべてがわかる本,講談社 1986,岩井寛,森田療法,講談社新書 2015,下山晴彦(編),よくわかる臨床心理学改訂新版,ミネルヴァ書房 2015,丹野義彦(著),石垣琢麿(著),毛利伊吹(著),佐々木淳(著),杉山明子(著),臨床心理学,有斐閣