沖縄紀行2013

子供の頃から沖縄へは一度行きたいと思っていたのだけど
リゾート地としての側面と太平洋戦争で唯一地形が変わるほどの地上戦が行われた側面とが消化しきれていなかったせいもあり
旅の選択肢から外していた。
勿論、前者は経済的観点から、後者は歴史的観点から、どちらも大切なことだけど、
一番の理由はLCCが就航するまで、地理的にも経済的にも遠い異国のように感じられたからだった。

それにしても旅を終えてから、まさか年末のどさくさに普天間基地移設の仲井眞知事による承認がなされるとは想像もしなかった。
そして首相の靖国参拝による中韓との軋轢。
これほど「平和」という言葉が軽く使われていいものかと辟易とした。
皮肉なことに、過去の歴史を見ても為政者が戦争を起こす時、
大義名分としてきたのも「我が国の平和を守るために」なのだから。

この報道がなされる前の一番の疑問は
東京で報道されている基地問題について本当に県民すべてが県外移設を望んでいるのだろうか、と言うことと
もし県外移設が決まった場合、失業率が最も高い県であることと、米軍基地の存在理由により国から補助される地方交付金がなくなることで、
観光以外に主要な産業がない県の財政および経済はどうなるのか、と言うことだった。

兎に角、これまでの不勉強から沖縄本島に対しての地理的詳細が曖昧だったり、
ほとんど歴史的研究らしいこともしていなかったので、今回はこれを契機に調べてみるところから始めることにした。



沖縄県の面積は2275.28km2で全国都道府県で44位。
それ以下だと 東京都 2187.42km²の45位、 大阪府 1896.83km²の 46位、 香川県 1876.47km²の47位となる。
しかし沖縄本島だけをとってみると1208.19km²であることから、高速道路を使うと那覇市の渋滞を避ければ6時間もかからず南北を往復でき、その面積の狭さは計り知ることができる。
また日本の都道府県では唯一JR鉄道がないこともあり、那覇市のモノレールを除くと主要交通手段は車となる。

今回参加したオプショナルツアーでのガイドからの情報によると
水道については、平年値では年間を通じて降水量が多く、梅雨と台風による降雨が多いにもかかわらず、
季節による降水量の変動が大きいこと、一級河川がなく、すぐに海に流出してしまうことなどから、
気候・地形的に水不足に陥りやすかったらしい。
また、1946年(沖縄地上戦の翌年)に約51万人だった人口が、本土復帰の1972年(昭和47年)に約96万人と増加し、
需給関係から1990年代前半までしばしば水不足による断水が行われたとのこと。
そのせいもあり、高速から見える住居の屋根の上などには給水タンクを設置している家が多く見られる。
しかし島北部のダムから南部への導水が進み、また1997年に気候に左右されず安定して水の供給が可能な海水淡水化施設が北谷町に完成し、
2010年には約139万人であるにも関わらず 断水に見舞われることは減ったらしい。

図の引用:ウィキメディア・コモンズより

【成長著しい沖縄の不思議について】
意外なのは、失業率ダントツNo.1なのに、2010年の自然増加率は人口千人あたり5.0人増と全国最高であることだ。

1972年度から2008年度まで沖縄の1人当たりの県民所得は全国最下位だった。
2008年度の1人当たりの県民所得は、203万9000円となっている。
なお、2009年度の資料では46位だった。
この期間、公共事業と観光と米軍基地からの収入に頼ってきて
サービス業を中心とした第3次産業が9割(全国平均は約7割)で、製造業などの第2次産業の割合は全国一低く、バランスが偏っていた。
しかし今後の平均経済成長率は全国1位になると予測されている。
具体的には2007~2020年にかけての成長率が、2位東京・3位神奈川を押さえてなんとトップと予想されている。
※(社)日本経済研究センター2009年の予測データより

その要因としては、

県民の平均年齢が全国一若く、教育を受けた若者が豊富にいるので、企業は人材に困らないこと。
出典:那覇新都心メディアビル
都道府県別の平均年齢で、沖縄は最年少の40.5歳と全国で一番若い県となっていること。
工学系の教育を受けた若者が年間約3000人も生まれ、人材も豊富にいること。
大型ショッピングセンターなどが進出し、経済が活発化していること。
出典:47NEWS
米軍から返還された土地を商業地に再開発すること。
これによる経済効果は、約874億2千万円にもなる。
大規模なマンション開発が進んでいて、投資家から購入されていること。
出典:内藤忍の公式ブログ
投資目的で、マンション購入され、沖縄県外からお金が流れ込んでいること。
外人観光客の増加を狙って、外資系有名ホテルが続々開業していること。
出典:MSN産経west
すでに開業しているヒルトンホテル。
そしてザ・リッツ・カールトンやフォーシーズンズホテルも開業を予定していること。
情報通信・ソフトウェア関連企業が増え、IT産業が成長していること。
出典:47NEWS(よんななニュース)
経済産業省や総務省などの中央官庁のサーバーが沖縄にあるため、
メンテナンスなどのシステム保守・運用会社の他、コンテンツ制作企業なども進出していること。
出典:www.47news.jp
特に経済成長の中心地になっているのは那覇新都心地区 という所で
ここは米軍の住宅地から経済成長の中心地になっ地区である。
2021年には、観光客数が年間1000万人(うち外国人200万人)になり、今より何倍も観光収入が増えるらしい。
出典:www.pref.okinawa.jp
また、アジアのどの主要都市へも4時間でいける那覇空港が、物流のアジア拠点として注目されている。
具体的にはヤマト運輸が、那覇空港を拠点にアジアへ向けた「国際宅急便」サービスを開始している。

http://www.nahashintoshin.co.jp/advantage/index.html
沖縄県はエネルギー自給率を、2030年に再生可能エネルギー10%程度にまで引き上げて、燃料費の負担を減らし企業活動がしやすくするという。
再生可能エネルギーで安い電気料金を実現するためである。
■出力1メガワットのメガソーラー施設が稼動中
■電気自動車レンタカーを220台導入済
■風力発電を今の6倍近くに増やす
■ガソリン車の3割を電気自動車に切り替える
出典:www.nhk.or.jp

などなど、人口統計だけでなく、まるで、新興国と同じような好条件を持っている。
それにもかかわらず、地方交付金を当てにした米軍基地承認については腑に落ちない。
なにはともあれ、行ってみなければ判らないことが多すぎるのだ。

前置きが長くなったが、ここからが旅の詳細となる。

2013年2月21日金曜日

午前1時30分
冷たい雨の中、 2時10分発の東京シャトルへ乗車するため、徒歩にて日本橋へ。
正確には東京駅八重洲口乗り場であるが、東京駅八重洲口からは徒歩7分に対し、東京メトロ日本橋駅からは徒歩1分20秒である。
バスは定刻通りに発車し、60分後には成田空港第2ターミナルに到着。
夜間飛行がない第2ターミナルでは、全てのカウンターが閉まっていて、国内便へとつながるコンコースだけがクリスマスイルミネーションで灯が燈っていた。



搭乗するまでの時間は何もないスペースで時間をつぶすことになるが
第2ターミナルの一番北にある喫煙所にて電源が確保できることが判明。
しばらくはこの場所で、ノートパソコンとポケットWIFIとスマホを接続し、
調べきっていなかった旅の情報をかき集めていた。

午前6時、小降りの雨の中、GK301便は定刻通りテイクオフした。



地上が雨でも雲の上からはご来光が拝めた。



午前9時那覇空港へ到着。
地方空港では珍しく、ボーディングブリッジを使わず、タラップとバスを使ってロビーに向かう。



御覧のように沖縄の気温15度。
東京では雪が降るかという気温の日である。

空港ロビー到着後、空港内のおおよその施設の位置を調べた後、いつものようにパンフレット収集。
その後、空港に隣接したゆいレール(モノレール)那覇空港駅まで歩き、販売機にてフリー(24時間)乗車券700円を購入。
ここで気に留めておきたいのは一日乗車券ではなく24時間乗車券と言うこと。
つまり1日目で昼の12時以降に買えば、次の日の午前中まで使用できるわけである。
また通常、一日券はどこの私鉄でも見かけるが、二日券(48時間1,200円)もある。



改札口で大きく書かれていることはスイカは使えないと言う張り紙。
JRが2012年5月にスイカ、パスモ、イコカなど全国の駅でチャージ式カードを使えるようになったため、間違う人が急増したからだろう。

まずは世界遺産の城(グスク)のひとつ首里城へ行くため始発駅である那覇空港駅から終着駅である首里駅へ。
と言っても乗車時間27分である。

このモノレール、乗車してわかるが、那覇市内の主要幹線道路に沿って敷設されている。
それは線路をささえる橋脚が二股ではなく中心部1本で支えられているからで
これにより立ち退き問題もなく、
地下鉄のような大規模工事の必要もなく、
高層ビルのない那覇市内の風景が一望でき、
かつ、利便性のある個所に駅を作ることができるからだろう。

首里駅から首里城へは徒歩で15分くらい。
平城を想定していたら、とんでもない間違い。
完全な平山城で坂と何段もの石畳を経て正殿へとたどり着く。

   


なので、高齢者の観光客などはバスにて守礼門前まで行き、そこから徒歩で正殿へと向かっていたようだ。
城はソウルなどの城と同じく、中国・明王朝の文化を模して造られており、
天守閣などを備えた軍事目的の日本の城の構造とは明らかに違う。



南殿、正殿、北殿の入場料は、ゆいレールのフリー乗車券を提示することで800円が640円になる。

まずは南殿から入場し、これまでに至る琉球の歴史を年表や写真などで辿る。
その後、廊下をわたり、王の住居でもあった正殿へと入る。


王の玉座


王の冠


正殿の裏庭から観た那覇市街
標高約120~130メートルの小高い丘の上に立地していることがわかる。

上のように正殿内は写真撮影は許可されている。
※南殿など一部禁止の場所あり

そして正殿から北殿へと渡り、出口となる。

琉球王国は、1429年に成立し、首里城は琉球王朝の政治・外交・文化の中心として栄華した。
しかし、明治時代、琉球藩になった後、1871年の廃藩置県で沖縄県になり日本に併合された。
その後1945年本土防衛のもと、首里城は日本軍の基地になったため
沖縄地上戦という太平洋地域での最大規模の陸戦が行われた結果、
城は大攻撃を受け、見るも無残ながれきの山となった。
現在の城は戦後復元されたものであり、訪れた時にも石垣の復旧工事が行われていた。

正殿前を出た後には守礼門方面に歩き土産物売店と、その奥にレストランと売店を備えた首里杜館(すいむいかん)という休憩所がある。



ちなみに土産物売店でアイスクリームは300円で売っているが、奥の首里杜館で買えば250円だった。

駐車場のある出口からゆるやかな坂を下ってゆき、1427年に造られた龍潭(りゅうたん)という人工の池から右手に城を臨み


左手に官足足もみ家首里店というのを発見


この後のオプショナルツアー参加の予定上、短時間の足つぼマッサージクイックコース25分1700円というのをやってもらった。
いわゆる台湾に多い足の反射つぼを刺激するもので、
胃カメラを飲んだ時と同じくらい悲鳴をあげそうになった。
特に悪い個所が膀胱らしいとのこと。
確かにその兆候はこの前から感じていた。

実際に施術を担当してもらった人の他に、話し相手に別の店員さんが居ていろいろ話したら
地元民は意外と観光地に行かないらしく首里城を全部歩いたこともないらしいとのこと。
確かに僕も未だ東京タワーと東京スカイツリーは上ったことがない。

その他、改装工事を終えた新しい東京駅の話や
クリスマスなので首里城もイルミネーションをともしたほうがいいとか
世間話をしながら痛みに耐えていた。

施術を終えた後、
「今日は水分を多くとるように」とか
「体がだるくなることもある」とかアドバイスをしてもらい
アロマソルトと言う血行促進・発汗作用のある入浴剤を頂いた。

帰りに首里駅の方角を聞いたら儀保駅のほうが近いとのこと。
簡単な行き方があるのを聞いたので、その通りに歩いていくと確かに近かった。
しかも首里駅の次なので、余裕をもってたどり着き那覇空港駅へと向かった。

オプショナルツアーの待ち合わせ場所である那覇空港の集合場所に到着したのが午後1時50分。
午後2時集合だったので無事ツアーバスに乗ることができた。
美ら海クイックライナー 美ら海水族館直行バスツアー<午後/那覇空港発>

バスは高速道路で美ら海水族館へと向かう。

ガイドさんからは、まず沖縄の基本的情報の説明を受ける。
まずは沖縄の観測史上最低気温は4度らしく予想以上に低いこと。
そして最高気温は久米島の34度で、これも思った以上に低いらしい。

次に前述したように、高速道路から住居の貯水槽を見つつダムができる前の沖縄の水事情を聞いた。
那覇市を過ぎて普天間(基地は高速からは見えない)、恩納村(本島で一番細い個所)、を通り過ぎ、名護市を前にして一般道に降りる。
名護湾では昔からイルカ狩りが行われていたらしく、漁の出来不出来によって名護市市長の人気に影響するらしいとのこと。

10億円の経費をかけて造られた天然の空調である一面開口部の名護市庁舎を右に見て



名護湾沿いを伝って海洋博公園へとたどり着く。



海岸から見える島は、伊江島で夏のリゾートにはいいらしい。
しかし、この島も陸戦に巻き込まれたところであり、その傷跡は今でも残っているらしい。

バスの駐車場から水族館の入り口へは10分くらい歩く。

水族館の入場料は16時からだと1,800円が1,260円と割引きになるらしくこのツアーではガイドさんが受取りに行く。
ちなみに入場料はツアー代金に含まれている。
水族館へ入る前に16時からオキちゃん劇場と言うイルカショーを観に行った。



写真ではなかなか分かりにくいが、4頭のイルカによるショーで、
ダイナミックなハイジャンプ、ユーモラスなダンスやコーラスなどを存分に楽しめる無料のイベントである。
ショーを見学した後、昼食を摂っていなかったので、公園内にある夕陽の広場展望レストハウスで沖縄そば(うちなーすば)を食べた。



そばと言っても、麺は小麦粉100%使用で中華麺と同じで一般に太め。
和風のだしを用いることもあって、その味や食感はラーメンよりむしろ肉うどんに近い。
スープはあっさりしていて、骨付き豚肉は小骨を取るのが面倒だけど、美味である。
七味と唐辛子があるので、辛党でも味の調節は可能。

腹も膨れたところで、メインの美ら海水族館へ入場。
っが!
入っていきなり、アコギな商売に出くわす!
職員4人が「写真撮影致しますのでこちらへどうぞ!」と案内される。
てっきり自前のスマホで写してくれるのかと思いきや
「それでも移しますので、まずはこちらへどうぞ」逃げられない位置に誘導される。
そして写真撮影後、すぐにプリントアウトされたデコレーション付きの写真を見せられて
「お気に召しましたら1000円でどうぞ。気に入らなければ強制ではありませんので。」と言われる。
完全なぼったぐりである。

それがこの写真
家族連れや見終わった後ならともかく、入場券を改札で通す前に、こんな商売をするとはいかがなものか。
一応、メールにて苦情を送っておきました。

時間も午後4時50分くらいだったので、17時のジンベイザメの食事タイムに間に合うよう奥の大水槽へと急いだ。
まずはドバイの水族館ができるまで世界一だった水槽↓の大きさ。



そしてジンベイザメの食事タイム!



勿論、マンタも泳いでます。



奥へ回り込むと水槽を下からも見れます。





水族館を出た後、マナティー館へ。
これは無料です。



そしてウミガメ館へ。
これも無料です。


もっとゆっくり見て回りたかったけど

 期間  開館時間  閉館時間(入館締切)
10月~2月   8:30 18:30(17:30)
 3月~9月  8:30 20:00(19:00)



ということなので、帰りのバスへと向かった。

帰りは恩納村などにある有名どころのリゾートホテルへ直接エントランスまで送ってくれるが
那覇に入ったところで慢性的渋滞に引っかかり最終停留所の県庁前には予定より1時間以上遅れの21時過ぎに到着。
例年にない寒さのためかクリスマスイルミネーションが不自然でなかった。



ゆいレールで県庁前駅の隣駅である美栄橋駅まで乗ると、結構な通勤客だった。
フリー乗車券を買ったので気づかなかったけど、どうやら隣駅だと100円で乗れるらしい。

宿泊予約をしたリッチモンドホテル那覇久茂地までは駅から徒歩3分。
2Fのフロントでチェックインをし、朝食800円も追加予約した。
ちなみにメンバーズカードを作成すると、
次回の関連ホテルのチェックアウがト11時から12時になるらしく
チェックインも機械でできるようになり
無料であることからメンバー手続きを済ませて817号室に入った。
第一印象は「広!」
それと、すべての設備が整っており、アメニティ充実(耳かきも2本ある)。
パジャマありなので次の日の着替え以外衣類の持参は必要ない。
部屋単位の気温設定も可能だし、コンセントの位置も完璧。
そしてテレビはBSも観れる。

   

とりあえずPCとスマホとルータの充電を設定し、時間も時間なので、国際通りなどの遠出は諦め、ホテルと同じビル1Fのごっ八にて晩餐。
宿泊者10%割引ということもある。
カウンター席を希望して通されたのは、二人用の仕切りがある席で、カウンター内には人はいない。
ファミレスと同じように注文する時は呼び出しボタンを押す。


まずは折角沖縄に来たのだからオリオンビール中ジョッキを注文。

後は、鱈の白子ポン酢。

それに、トマトのマリネとクリームチーズのサラダバルサミコソース。

最後にモズクの天ぷらを注文。

シークワーサーハイは3杯飲んだ。


とりあえずボリュームが凄いのでこれだけで注文は充分。
23時過ぎに店を出て近くのローソンに立ち寄り
シークワーサージュースとアイスクリーム(チーズストロベリー味)購入して部屋へ戻った。
そしてシャワー浴びた後、購入した2品を平らげて、
コーヒーを飲みながら明日の計画を再確認した。
就寝は午前1時を過ぎていただろうか。

2013年2月22日土曜日

午前8時
昨晩と同じく1Fのごっ八にてビッフェ形式の朝食。
質量とも値段相応。

午前10時にチェックアウトし、美栄橋駅へと向かった。
この日の一番の目的は摩文仁の丘へ行くことである。
県庁前駅から修学旅行中の中学生が大量に乗ってくる。
「これって空港に行けるのか?」と言っていたので
「終着駅が空港になってるよ。」と教える。

那覇空港駅到着後トラベルレンタカーの無料送迎バスに乗車。
11時に到着後、手続きをすると
「軽自動車がないため、同料金で普通車でいいか?」と聞かれたので承諾をして車に乗りこんだ。
沖縄のレンタカーは一日平均2,500円と格安である。
一番安いものなら軽四で2,100円というくらい。

11時30分
カーナビで県営平和祈念公園を設定後、沖縄戦終焉の地、摩文仁を目指した。
カーナビは迷路のような道案内で、地図だけだとたどり着けないほどだった。
本当はもっとわかりやすい道があるのだろうけど、
グーグルマップと同じで、最短距離を検索するようプログラミングされているのだろう。

公園の駐車場に到着したのは13時をまわった頃、
まずは沖縄県平和記念資料館へ。
入場料300円。


外観は完全にリゾート施設に見えるが、展示内容はそれとは真逆のもので
筆舌には尽くしがたい沖縄戦の内容を時系列に辿ることになる。
地上戦は沖縄県民を老若男女を問わず巻き込み、地形が変わるほどの艦砲射撃と
火炎放射器による洞窟などへの攻撃など、あまりにも激戦であったためか
残念ながら写真など殆ど資料が残っていない。
それどころか、終戦後沖縄自体アメリカの植民地支配下になったため
民間人の死傷者人数もわからないままなのだ。
展示物は主に語りべが残した文章を読みながら進むことになる。

本土では1945年8月15日に終戦を迎え、高度成長期を経て復興することになるが
沖縄が国土復帰するまでを知る限り、この地の戦後は未だ終わっていないことを痛感することになる。
※館内は撮影禁止

館外へ出て広がる海は、まるで何もなかったように穏やかな東シナ海が一望できる。



国立沖縄戦没者墓苑


これは、沖縄戦最初の米軍の上陸地である座間味村阿嘉島において採取した火と
被爆地広島市の「平和の灯」及び長崎市の「誓いの火」から分けた火を合火し、
1991年から灯し続けた火を1995年6月23日の「慰霊の日」にここに移し、灯したものである。

平和の礎


1995年に除幕した「平和の礎」には、国籍や軍人、民間人を問わず、
沖縄戦における全戦没者24万人余の氏名が刻まれている。

摩文仁の丘(沖縄戦跡国定公園)の上には国立沖縄戦没者墓苑や府県、団体の慰霊塔が50基建立されている。
これらの慰霊塔を全て訪れるのは時間的に不可能だろう。

なので国立沖縄戦没者墓苑だけ参拝した後、丘を下って行った。


ただちょっと複雑な気持ちになったのは「おにいさん。お花あるよ!」と数か所に花売りのおばあが声をかけてくること。
水族館と同じく、いくらなんでも商売に繋げる風景にはげんなりする。

最後に沖縄平和祈念堂にて黙祷


第二次世界大戦で最後の激戦地となった沖縄では、軍民合わせて約24万人余も人命を失った。
この戦争を二度と繰り返さぬよう世界の人種や国家、思想や宗教のすべてを超越した“世界平和のメッカ”として
昭和1978年10月1日、この平和祈念堂は開堂されたらしい。

15時30分
公園から車を出して海中道路を目指した。
摩文仁からは太平洋側の一般道を使い、いっぷくカフェという所を目的地に設定した。
海中道路に到着したのは16時11分頃。
その後、カーナビに従い、いっぷくカフェに到着したが、そこはただの墓地だった。
何がなんやらわからないまま、そこからの風景が↓である。


車に戻り、レンタカー店をカーナビで設定したら所要時間が1時間35分となって、
これでは車を返す17時30分には間に合わないのでカーナビを無視し高速道路を選択した。
沖縄北ICから那覇ICまでは400円(軽自動車は300円らしい)。
給油後、17時45分にレンタカーを返し、すぐさま空港行送迎バスに乗車。
朝食から殆どご飯らしいものを口に入れていなかったので、空港の売店で空弁を探したが
残念ながらすべて売り切れ。
唯一残っていたタコライス380円を購入した後、搭乗手続きをしてゲートにたどり着いたら18時20分。
離陸予定が18時45分だったから、すぐに搭乗するかと思ったら、
18時35分にボーディングブリッジではなくバスとタラップにて搭乗することに。
GK306便は20分遅れでテイクオフした。



沖縄の夜景を見ながらシートベルト着用のサインが消えるのを待ってビールセット500円を注文。



そしてタコライス。



21時30分に成田空港着陸。



帰りのバスは東京シャトルではなく、あすか交通バスになる。
乗車券は1000円と、東京シャトルより100円高い。
この時間になると20分ごとにバス会社が入れ替わるみたいなので仕方がない。
バスは第1ターミナルでも乗客を乗せ、助手席を使い満席状態に。
車内ではFacebookのチェックや投稿をしていたら1時間後に八重洲口へ到着。
この停留所は東京シャトルとは違い、本当に八重洲口前に停車する。



そこから日本橋駅へたどり着いたら上記の通りで、やっぱり寒い。
2駅目の門前仲町駅を下車して帰宅したら23時半。
駆け足で回った旅だったので、ぐったりした。

沖縄での滞在は最低2泊3日必要だと痛感した。

おしまい

参考資料
沖縄 裏の歩き方

TRAVEL STYLE 沖縄 2014