大人になって音楽を習うと言う事

 

最近「どうして未だに音楽なんか習っているの」とか「もう教える方向ででも考えたら」とか言われるので、こんな文を書いておきたくなりました。

昨年、小田和正さんがTBSのTV番組「風のように歌が流れていた」で、「オフコースは自分にとって学校のようなものだった。」と言われており「僕の音楽の先生はYASS(鈴木康博さん)だから。」とも言われた言葉が記憶に残っています。

そんなことに起因してか「自分はどうして音楽を習いに行くようになったのか」を整理したくなったこともありましたし。

 

僕が初めて人に音楽を習ったのは、30歳を越えてからです。

正確には高校1年の時にギターを2ヶ月だけ教わった事はあるのですが、その時の記憶として残っているのは、和声(コード理論)も含めて体系的な音楽的基礎があったわけではなく、ただただ「ギターをもっと上手くなりたい」「一本のギターでも旋律、和音、ベース、リズムを組み入れた表現力をつけたい」と言った人前でどう見せたいかだけを考えていました。

この頃はまだ、キーボードを弾き始める前だったので、単純なコードはわかっても、それが音楽理論上どういう解釈になって人に伝わっているかなんて考えもしなかったのです。でも、理屈はわからないにしても物心付く頃から僕は歌番組が好きで、「この唄は売れる」とか「この歌手は上手い」とか分析していたし、その時間量に比例して感覚的にわかっていきました。それも僕が歌謡曲全盛期のテレビ世代だからなのでしょうね。歌謡曲の番組(少なくともその楽曲をテーマにしていたTV番組) というのは、自分の好き嫌いは別としてアイドル歌謡(これも古い表現ですが)から演歌まで、知らず知らずのうちに聞き覚えてしまうんですね。

そして僕等が子供の頃はその選択肢が少ないせいもあって、流行歌に関しては殆どみんな聞き覚えがある唄で、少なくとも紅白歌合戦やレコード大賞というものに選ばれるような歌は確かに誰もが聴き憶えのある流行歌だったのです。

これが良いか悪いか別にして当時の流行歌は少なくとも作詞重視の時代だったと思います。それは後に台頭してくるフォーク・ニューミュージックを含め、ある意味ロックでもそうだったような気がします。今の音楽がそうでないかと問われると、勿論、流行歌ということに関して言えば歌詞は大切な要素であると思います。ただその重要度は年々下がってきているような気がするのです。現在は自ら手を伸ばさなければ自分の記憶に残る音楽というものが手に入りにくいようになっているような気がするのですね。テレビでは音楽番組でも歌い手がトークしている時間は視聴率がいいけれど歌が始まると落ちるという皮肉な現象が起きているように。すると今の人達はどこから音楽を選択しているのかということになるのでしょうけど、これまた皮肉な事にテレビ番組の力が大きいのですね。

 

東京の深夜放送に多いのですが、ここのところ何かにつけベストテン的な番組が流行っています。

TBSが「カウントダウンTV」という番組をやるようになって随分時間が経ちました。

この番組の影響は留まる事を知らず他の放送局も我先にと同じような番組をやり始めて、しかも1クールではなく長きにわたって続いているのです。これは、朝のテレビ番組がどの局もここ数年占いのコーナーをやっているようにです。

歌番組ではないのですがTBSの「ブロードキャスター」の「お父さんのためのワイドショー講座」のように、みんな今なにが話題になっているのが手っ取り早く知りたいわけですね。

 

僕は率直に言うと大人になってから音楽を習おうと思っている人には、ひとつだけ提言があります。それは、ひとつの音楽教室に固執せず、出来るなら複数の音楽教室に通った方がいいと言う事です。これには時間もお金も余計にかかるわけですが、巷で流行っている音楽教室というのは千差万別で自分に向いているかどうかの判断が非常に難しいのですね。また、子供の頃に音楽をしていた経験がない人などは、先生の言う事に対して教条主義的になりがちで、それが音を楽しむということからはずれて音に苦しむというオンガクになってしまいがちなんですね。または内容のわりに高いお金を払っていたりして。

そうなると人間と言うのは勝手なもので、「あそこの教え方が悪い」とか「こんな面倒くさいことはやりたくない」とか、安易に諦めてしまうようになると思うのです。まだ20代の人に多いのですが、本人自身はできるならプロとしてやっていきたいとか、あのライブハウスでやっていけるようになりたいと思う人が多くいます。ストリートミュージシャンに関しては東京だけでなく殆どの都市の駅前で誰かがやっています。これ自体はむしろ好ましいことで、僕らが若かった時のように街でそんなことをやっていたらヤクザやチンピラから「ショバ代」というようなものを恐喝されることがない時代ですから。ただ、こう簡単に自分のパフォーマンスができてしまうと、お金を払ってまで音楽を習おうという意識が薄れていくのですね。統計をとったわけではないのですが、僕が色んな音楽教室を見てきている限り、ひとつの教室でその判断を下してしまい、その後進歩のない音楽レベルで終わってしまう人が多いんじゃないのかなと思うのです。

確かにシンガーソングライターになっている人は殆どが音楽を専攻してきた人ではないのですが、実際に自分で唄を作って人に聴き入れてもらうことがどれほど大変かということはやった人にはわかると思います。そして数曲できたとしてもある段階に達したら、かわりばえのしない唄しか作れなくなってしまったという人も多いと思います。なんのことはない僕自身がそうでしたから。

しかし、音楽というか唄を作りそれを伝えると言う事は実は大変な作業で、憶えておいたほうがいいということが山のようにあるのです。僕自身は強要されるというか人に教わると言うのが苦手な方で、自分が興味を持ったことは独学でやってきたことが多いのですが、それでも限界がありました。僕が現在メインに勉強しているのは編曲やレコーディングのことが多いのですが、少なくとも鍵盤楽器かギターでのコードワークが理解できている上での話しですが、やっぱり餅は餅屋で、専門家に教えを請う方が早い事が多かったですね。

それに専門家に習っていると自分が作った曲とかを聴いてもらってアドバイスをしてもらうこともできますから。これは非常に大切な事だと思うのです。音楽を発信してみたいと思うからこそ何か楽器を弾きたいとか歌を作りたいと思うのであって、それには必ず受け手がいる訳ですね。しかしそれにたいして適切なアドバイスが受けられるようになるにはそれなりの人が必要になってきます。学生時代ならともかく社会人になった後では不愉快になる程、的確なアドバイスをしてくれる人が出来るのはまれだと思うのですよ。たとえ評価してもらってもそれは当たり障りのない感想や社交辞令にとどまり「それじゃー次はどうすればいいのか」「何が足りなくてそのためにはどうすればいいのか」ということまでのアドバイスをもらうとすると、まずお金は絶対かかるものだと思うのです。そしてそのお金をどう使うかの判断も自分持ちなんですね。

そんな時、音楽教室とかセミナーといったものが非常に便利なのですが、楽曲の評価と言うものは千差万別で先生によって評価が全然違う事があります。しかしながら音楽理論や演奏技術のようなものはある程度体系化されているのでメジャーな音楽教室とかセミナーならおそらく間違ったアドバイスは少ないでしょう。ただ、ここであえて少ないでしょうと書いたのは間違ったアドバイスも少なくないということです。自分で作った歌というものが究極的に命の源としているのは大袈裟に言うとその人が生きてきた人間性に起因するのであって、作った本人がそれでいいと思ったら、その時点でそれは間違っていないのです。たとえそれがアボイドノート(不協和音みたいなもの)など現代音楽理論上間違いとされていてもですね。極論すると音楽理論はある意味その時代時代に適応した解釈にすぎませんから。

まだ人に教えてもらってもいない幼い子供の絵画が自由にみちているように最終的にはそこに帰結すると思うのですね。でも絵画と違って音楽はあらゆる人にも幼少の頃から自然と入り込んで脳に形成されていく感覚的記憶ですし、その時代時代の技術的文化的背景が知らず知らずのうちに大きく刷り込まれていきますからね。

その分その時代その時代で人に受け入れられる歌というのは変わっていくものなんですね。だからといってそのうち何とかなると言ったような「大器晩成」を名乗るのは怠け者の合言葉に聞こえますから、よほどの天性と音楽知識がない人は「習ってみて慣れよ」と言いたいですけど。

 

大袈裟かもしれませんがそんなところからこの国の音楽文化がもっと発展していくと思うのです。音楽に限った事ではないのですが、オーディションやストリートなどの挑戦も大切ですが、それ以上にその挑戦に対する準備というものを理解する事がもっと重要だと思うのです。その時初めて失敗や挫折というものも財産に変わっていくと思いますし。

 

僕の場合そんなことを思いながら音楽のレッスンやセミナーに参加しているのです。