スイス紀行再び
11月19日木曜日
荒川さんへ「11月17日に退職し時間ができたため、近いうちに新築見学も兼ねてスイスの荒川家を訪れたいと思っています。」
と言うようなメールを出したのが今回スイスへ行くことを打診した日だった。
本来ならクリスマス休暇を外して日程を組むつもりだったけど、12月前半は研修をいっぱい申し込んでしまったり、忘年会の予定がいっぱいあったため、フライト予約は
2009/12/20東京(成田国際空港) / チューリッヒ(チューリッヒ)
SWISS AIRLINES LIMITED(スイス インターナショナル エアラインズ) LX161 11:05 - 15:50
2009/12/28チューリッヒ(チューリッヒ) / 東京(成田国際空港)
SWISS AIRLINES LIMITED(スイス インターナショナル エアラインズ) LX160 13:00 - 08:50(12/29着)
にした。
料金は往復で112,210円と割高になってしまったけど、この日程は結果的にちょうど良かった。
と言うのも、不況の影響で荒川さんのクリスマス休暇が延長されて僕の到着と重なったことと、
奥さんの彗ちゃんがお父様のご不幸で北京に滞在することになっていて12月26日に帰宅するため、すれ違いにならなかったからだ。
前回の成田からの旅行は、まだ木場に住んでいた頃だから2004年9月のスイス以来だ。
その時は東西線で東葉勝田台駅まで行き京成勝田台駅で乗り換えて成田空港駅まで行ったが、今回の安近短ルートは異なり
■門前仲町
| 都営大江戸線
◇森下
| 都営新宿線急行
◇本八幡/京成八幡
| 京成本線特急
■成田空港
所要時間約1時間20分1,400円というルートを使った。
それとフライトより2時間くらい早めの到着にした。
と言うのも空港で国際電話用の携帯を借りることと、チェックイン手続きにどれくらいかかるか憶えていなかったからだ。
両替に関しては、前日に自転車で東京シティエアターミナルまで行き、円→スイスフランに替えておいた。
しかしこれは前日だったからで、一番手数料がかからない方法としてはFX口座を作っておいたほうがいいらしい。
ちなみに自宅から東京シティエアターミナルまでは歩いても15分くらいで到着するから、リムジンバスという手もあったが、いくら楽とはいえ2,900円とは高すぎるのでやめにした。
成田空港に到着したのは9時前。
諸手続きが完了して1時間以上余裕があるので、ネットブックでWebをやってみようとしたが、どうやら空港内公式WEBサイトのページ以外を開こうとすると有料になる。勿論メールも。
仕方がないので、前日に買った「地球の歩き方」を読んだり、搭乗してしまうとスイスまで禁煙になるため、喫煙所へ行ったりして時間をつぶしていた。
これが僕の乗った便
機内はほぼ満席で出発は15分遅れだった。
チューリッヒに到着したのはほぼ定刻通りで16時前だったが、前回と違ったのは飛行機から降りる場所から入国手続きをする場所へ行くのにシャトルで移動することだった。
入国手続きを完了し荷物受け取りの場所へ行こうと思っていたが、考え無しに人の流れにまかせて歩いてゆくと、どうやらヨーロッパの他国へトランジットをする方向だったみたいで、あわてて引き返した。
そうこうしているうちに、16:20が近づいてきて、思わぬところで予定がくるってしまった。
というのも、今回はチューリッヒ空港駅(Zurich Flughafen)から荒川さんの住むブックス駅(Buchs SG)まで自力で電車を乗り継いでたどり着く予定だったからだ。
本来なら
チューリッヒ空港駅〜チューリッヒ中央駅(Zurich HB)〜ブックス駅
と言う1回だけの乗り換えで行く電車が1日1本だけあって、それに乗って行くことにしていた。
ところがそれに乗るには16:20発のチューリッヒ中央駅行きに乗らないと間に合わなかったからだ。
仕方がないのでとりあえずチューリッヒ中央駅まで行ってみた。
到着後、携帯で荒川さんへ電話してみると10番線からサルガンス(Sargans)へ行く電車があるとのこと。
ところが待っていても10番線自体に電車が止まっていない。
再び電話して聞いてみると、スイスの電車は日本並に運行されているが、出発する番線が変わることがあるとのこと。
携帯で話しながら掲示板のあるところまで行ってみると9番線から出発すると書いてあり、振り向くとちょうど電車が発車するところを見たあとだった。
仕方がないので、とりあえず1時間後くらいの次の電車を駅構内で待つことになった。
スイスの駅には改札というものがない。切符の検閲は電車の中であるからだ。
クリスマス休暇中ということもあってか、駅構内は電飾で華やかに飾られていて、あちこちに飲み物や食べ物が売られており、時間を潰すのにちょうどいい観光になる。
とりあえず空腹と寒さしのぎにエスプレッソとピザを買って暖を摂った。
チューリッヒ中央駅の構内
チューリッヒ中央駅の時刻掲示板
チューリッヒ中央駅から見える駅前
サルガンス(SARGANS)へは急行で1駅。と言ってもちょうど1時間くらいかかる。
荒川さんから前もって聞いていた大事なことは、「2」と書かれている車両に乗ること。
と言うのも、この数字は車両のランクを表すもので「1」と書かれているのが日本で言うところのグリーン車を意味し、「2」が普通車両になるからだ。
後、日本のように駅到着の際に車内放送がないので、時計を見ながら自分で判断して降車しなくてはならない。と言っても僕にとってはドイツ語がわからないのでどっちも同じだけど。
電車はチューリッヒ湖を左に観ながら順調に走っていった。しかし既に夜なので、その景色は帰りの電車から観ることになる。
チューリッヒ中央駅から乗った電車
サルガンス駅は時間通りに到着。
乗り換えに5分くらいしかないのですぐさまブックス駅へ向かう電車に乗り換えた。
ブックス駅に到着したのは20時くらい。駅構内には降車する人影以外は誰もいない。
駅のゲートを抜けると暗がりの中、荒川さんが車で迎えに来てくれていた。
久しぶりの再会だったけど、まるで昨日も会っていたかのような雰囲気で荒川さんの新居へと到着した。
さすがにスイスの風は東京とは違い、空気がかなり乾燥していて肌に刺してくる感じだった。
それと同時に、やっと到着したんだという実感もわいてきた。
この日は荷物を下ろして一段落ついて、ワインを頂きながら到着までの話をし、夜が更けていった。
僕の滞在中は龍人の部屋を貸してもらった。
龍人の部屋
目が覚めて外を見ると2センチほどの雪景色だった。
この日は、いーちゃんのピアノや龍人のギターを弾いたりしながら、殆ど屋内でゆっくりしていた。
午後になって荒川さんがいつも散歩コースにしている場所に連れて行ってもらった。
ブックスの人口は1万人をこえるくらいの小さな町で住宅街から反対方向に歩くと、僕の実家並みに田舎の風情となる。
散歩コースの途中(夏には羊などが草を食べる草原になるらしい)
夕食が終わった後だっただろうか。それともその前だっただろうか。
いーちゃんと4時間くらい音楽の事、進路のこと、日本のことなど話したことを憶えている。
いーちゃんは中学3年になっていて、5年前来た時の面影は全然なく、別人のようにすっかり青年になっていた。
いーちゃん
龍人は大きくなったとはいえ、前来た時とあまり面影は変わっていない。
ただ、ちょっと太り気味かなって思ったが、僕が言えた義理ではないだろう。
龍人
兎に角、彗ちゃんが帰ってくるまでの食事は全て荒川さんがやってくれた。
毎晩のワインとちょっと高カロリーのものが多かったので、また体重が増えてしまうかと思ったけど。
次回訪れる時は食材も買い込んで、僕も作るようにしなければと思った。
そして新居の風景は
荒川さん宅外観
2Fいーちゃんの部屋(勉強中です)
2Fサウナ風呂と洗面台
2Fシャワールーム
2Fジャグジー
1Fリビング
1Fキッチン(料理中の荒川さん)
1Fリビングの食卓
1Fリビングから観た庭
地下シアタールーム
地下シアタールームの畳スペース
地下ワイン貯蔵庫(約100本あるそうです)
あと自慢の設備としては、
・雨戸が全て電動式シャッターで開閉する。
・全室床暖房のため、屋内では殆ど夏場の服装で済む。
・地下室に洗濯部屋あって屋内のロープに干すと、カラッカラに乾いてしまう。
・新建材で建てたため1Fのリビングは柱が少なく開放的。
などなど。
この日はクリスマスパーティーの買い出しのため街中のスーパーへ連れて行ってもらった。
その後荒川さんの同僚のムラト、それに奥さんの増田さんとヒルティの駐車場で待ち合わせをして、オーストリアのフェルトキルヒ(Feldkirch)というところでやっているクリスマスマーケットに行った。
クリスマスマーケット
マーケットの開かれる広場ではグリューワイン(Glühwein)を飲みながら、みんな談笑にふけっていた。
この日はバート・ラガッツ(BAD RAGAZ)のテルメへ連れて行ってもらった。
その前にゴミ収集所へ寄ったが、瓶の色事にも分別するので日本以上に細かい。
ゴミ収集所
テルメとは温泉施設のことで、日本では余り知られていないけどスイスにはテルメがいっぱいある。
僕も草津温泉へ行く時はベルツ通りにあるテルメテルメへ立ち寄ることが多いが、まさに同様の施設だ。
ただ温泉と言っても海水パンツが必要で、湯の温度も温水プールくらいで洗い場はない。
屋外の流水風呂やミストサウナに入った後、大浴場の湯の中で、荒川さんの今の仕事の話を聞いていた。
荒川さんはヒルティ(リンクは日本法人です)のIT部門でSAPのコンサル、カスタマイズや導入がメインで、これまで世界中の拠点を飛び回っていた。
今は担当が変わって、自宅から自転車で5分のオフィスへ通っているとのこと。
それぞれのお国柄もあるそうで、前回聞いた時はフィンランドが仕事に対して積極的ではないと言っていたが、今回聞いてみると東欧諸国のほうがひどいとのことだ。
テルメの入口から見えたツリー
夜はムラト(増田さん)宅でラクレットパーティーに招待してもらった。
帰宅後、荒川さんとワインを飲みながら談義をしたが、この時に話した内容が一番記憶に残っている。
日本の政治やマスコミのこと、お気に入りの映画のこと、いーちゃんのこれからのこととか。
最後に度数の高いスピリッツを頂いたが、これがまずかったかもしれない。
群発頭痛はおさまっていたのだけど、ここにきて時差ぼけと長旅の疲れが出たのか、次の日は起きることが出来ず、
僕だけオーストリアの荒川さんの同僚宅で行われるクリスマスパーティーはキャンセルしてもらい寝入っていたのだ。
なので12月24日〜12月25日のことは寝ている以外殆ど記憶がない。
この日は夜に彗ちゃんが北京から帰宅する日。
久しぶりの再会だったけど、今回も5年も会っていないとは思えないほど色々話をした。
兎に角お父様のご他界後のことではいろいろ大変みたいだった。
この日は荒川さん宅から車で20分のところにあるWILDHAUSというスキー場へ龍人と共に連れて行ってもらった。
ところが持っていったスキーウェアを着てみたところ、スキー自体10年ぶりということもあり、お腹がつっかえてキツキツだった。
それでもなんとかベルトをゆるめたら大丈夫だったのでそのまま行ったが、本当に運動不足と老化のせいもあって、緩斜面しかまともに滑れなかった。
しかもティーバーリフトでは途中で何度もこけてしまい、完全に乗り切ることができなかったので、普通のリフトで上れる場所だけで滑るようにしてもらった。
荒川さんと龍人は慣れたもので、まったく大丈夫だったが、僕の方は1回滑り終わるのがせいいっぱいで、下に着いた頃には汗だくになってしまった。
それでも本場アルペンスキー場は絶景で、次回行ける時までには日本のスキー場で練習してからリベンジしようと思った。
スキー場にて(荒川さん撮影)
この日の昼食は彗ちゃんが作ってくれたが、大変美味しかったことは憶えているのに何を頂いたのか記憶がとんでしまっている。申し訳ない...。
帰り支度をした後、widnauという街のスペイン料理レストランへ連れて行ってもらった。
海のないスイスで海鮮料理というのも面白い。
考えてみるとこれまでスペイン料理レストランへは行った記憶がない。
最後の晩餐
とうとう帰国する日。
朝早くから荒川さんと彗ちゃんにサルガンスまで送ってもらい、僕が電車に乗るまで見届けてくれた。
チューリッヒ空港までは順調に到着したが、ここでトラブル発生。
と言うのも、チェックインの行列を仕切っている職員らしき人物にCan I check in here?って聞いたら、「あっちで自動チェックイン機がある」と英語で指をさされたので、その機械で色々やってみたけどうまくいかなかったのだ。
僕が手間取っていると別の職員がやってきて試してもらったけど、うまくいかなかったので、結局、最初に聞いた職員の行列に並ぶことになったのだ。
考えてみると今回のフライト予約ではWebチェックインができなかったからかもしれない。
チェックインカウンターで通路側座席希望の手続きをした後、行きは全然大丈夫だったのにセキュリティチェックで金属探知機に引っかかって身体検査をさせられたのだが、問題なしとのことで、無事、出国搭乗口のあるロビーまで到着。
予定通り13:00発の飛行機に乗り込めた。
ここで2度目のハプニング。でも凄いラッキーな。
と言うのも確かに座席は通路側だったのだが、隣の2席の乗客が二人とも赤ちゃんを抱えており、「静かに寝ててくれることを祈るしかないな」って思って離陸を待っていたら、突然見知らぬ女性から「原様ですか。」と訪ねられ「はいそうです。」と答えたら「申し訳ございません。間違ってダブルブッキングが発生してしまい、私はCAなんですけどビジネスクラスの座席には座れないので座席を移って貰えますか。」とのこと。
勿論、「はい。」と答えてスキップしながら座席を移ったのだ。
初のビジネスクラス。それもエコノミー料金で。しかも13時間のフライトで。
座席だけが広いだけでなく、機内食も格段に良く、嬉しさで眠ることが出来なかった。
飛行機は定刻通り8:50に成田へ到着。直ぐさま携帯を返却して、残ったスイスフランを両替して京成急行へ乗り込んだ。
が、電車の座席で眠ってしまい乗り換えをするはずの京成八幡駅でドアが閉まることに気づくのも遅く、京成高砂駅まで行ってしまったのだ。
本来ならこのまま日本橋まで行って帰るルートもあるのだが、無職の身には『出来る限りの倹約』と言いきかせて、京成八幡駅まで戻り帰宅した。
年が明けてからは、荒川家とSkypeを使って電話したり、ファイル交換したりしている。
今度荒川さんが日本に帰ってくる時までは、自分が東京に住んでいることを願いながら。
おしまい