たそがれ散歩

原  覺著:「これから人生」より

 気温は低めだったが、梅雨どきにはめずらしいさわやかな上天気だった。
 午後からひょっこり家族づれの来客があった。
 ちょうどわたしたちは、昼食をしている最中だった。
「ごめん…」
 玄関の戸がガラリと開いて、男の声がする。とたんに下の児が箸をなげ出して、上がり口のほうへとんでいった。
「やあ淳一、大きくなったなあ。」
どうやら長兄の声であるようである。
「かこがわのおじちゃんや!」
 長男はさっそくわたしたちにそういって告げにくる。
「ごぶさたしています。突然やって来てごめんね、かず子さん」
「いいえ、そんなこと −。お姉さんあがってちょうだい。久美ちゃん、いらっしゃい」
応対に出た家内は、不意の来客にとまどった様子であったが、すぐそのあとお茶を沸しはじめた。
「かず子さん、べつに何もつくらなくていいのよ。パンとオニギリを持ってきているから…、お茶だけでいいわよ」
 姉は、家内の風情を察して遠慮しているようであった。いなかは麦のとり入れもすんで、田植えまでの中休みらしい。
それに天気があまりよいので、彼らはドライブに出たついでに立ち寄ってきたとのことであった。
「久美、ぐっと大きくなったね。可愛いスカートをはいて…」
 わたしがそういうと、姪は母親のうしろへまわってしまう。しばらく見ないうちに、彼女は、人見知りをする
ようになっている。
「あ、久美はおじちゃんの顔を忘れてしまったのね」
と婦が問いかけるように言っても、子どもにはそんな記憶などないらしい。
 食事がすむと、子どもたちは珍客をまじえて、部屋いっぱいにおもちゃを広げて遊びはじめた。そのうち長男の淳一が兄貴ぶって
 「これぼくのや!」
と、久美のもった乗物をとりあげている。
長男にすれば最近買ってもらった珍しい玩具なので、人に貸すのが惜しいのであろう。
「淳一、そんなもの久美に貸してやったらええやないか」
わたしが叱っても、彼は聞き入れようとしない。けれども、披女は泣かなかった。久美は、やはりそれが自分のものではないことを知っていたのだろうか。
「いいよ、いいよ。淳が久美に貸してくれないのなら、おじちゃんはもう、淳なんか自動車に乗せてやらないから…」
兄が娘に代わって言ったが、長男はそれに応じない。
「これ淳のやもん!」
と彼はプッと脹れて、我を通している。
三歳をすぎてから、目立って腕白ぶりをみせてきた彼に、家内もときどきてこずっている。だが、そんな時、わたしが頑として叱咤すると、彼はたちまち大声をあげて本気に泣いてしまうのである。
 しばらくくつろいだ兄たちは、やがて帰っていった。
 朝から遊びつかれた長男は、兄らが帰ると寝てしまったが、はどなくすると目覚めて、私たちのそばにやってきた。もう夕方近かった。
「淳一、散歩に行こうか」
「うん、お父しゃん、淳サンポにつれて行って!」
 よく眠ったせいか、長男はすこぶる上機嫌であった。
朝からの上天気は終日かわらない。春から雨が多かったので、子どもと散歩に出かけるのは久しぶりのことである。
 宅を出ると、一軒さきに道路がある。まぶしい斜陽が、まともに類を照りつける。わたしは左手で額をかざし、もう一方を子どもとつないで、あてもなく出掛ける。家並みを外ずれると、道は緩やかな勾配になる。左手にあるお寺のような古風な建物は、市の公会堂である。ここから中崎海岸の築堤が、西へのびているが、簡易舗装のこの堤もだいぶ傷んでしまった。かつてはこの道にも車が走っていたが、いまではもう格好の散歩道になっている。
 堤に沿った浜側には、古びた旅館と新しいホテルが軒を並べている。むかしは、これら館の袂に遠浅の海原がひろがり、窓辺にたつと、渚によせる波の昔も聞けたという。しかし今はもう、そんな風情は露だに想像できない。なが年の風波によって侵蝕された海浜も、すでに埋めたてられて、旅館のすぐ下には、新しい国道二十八号線が通じている。茫漠とした埋立地の一隅には、新道を隔てて「マリンセンター」がつくられている。白砂青松だったという昔の浜辺の面影も今はない。旅館の軒下まで海だったこのあたりが、こんどは埋めたてられて新しい観光地に変わろうとしている。
 「マリンセンター」の内には、おとな向きのプールと、ひょうたん型の子どもプールが、はぼできあがり、それに隣接して、広大な釣り堀をかねた養魚場がならんでいる。ここを「フィツシングセンター」と呼ぶのだそうであるが、ハマチやタイを中心に雑魚も養殖して、釣り天狗たちに解放するらしい。そのほかレストハウスや駐車場などもできるそうだが、半月あとに開園をひかえてその造成工事が急ピッチでつづけられている。
三方を防潮壁で囲まれたこの一帯は、外側がすぐ海だけに、プールなどは、はたして予想どおりの活況をみせるであろうか。それに、夏場をすぎたあとのシーズンは、どうするのだろう。それとも市は、近年大きくクローズアップされてきた明石架橋が(神戸市長が主唱者)実現したころに、このあたりの盛況を皮算用しているのかもしれない。
今はまだ緑地帯もない土砂の埋立地は、殺風景そのものである。だが、真向かいにみえる淡路の島影と青い海原が、せめてもの眺望の一役をかっているようだ。
 広場では、目映ゆい斜陽をうけながら、子どもらが野球に戯むれ、また、若いアベックや犬をつれた家族づれが、たそがれ散歩を楽しんでいる。端っこの防潮壁のうえにも、人影がまばらにみえる。
 しばらく立ちどまって、海辺を眺めていると、
「あ、お父しゃん、鯉のぼり、もうないわ」
と長男が言って、わたしの頗を見あげる。そういわれて、わたしは、ふと気がついた。節句の季節もとうに過ぎてしまったのに、家には、「五月人形」と「張子の虎」が、いまだに床におかれたまゝなのである。
 久しぶりに連れだった長男は、しごく嬉しそうにしている。
「あ、お父しゃ人時計や!」
「どこに見える?」
「あれ!」
 彼はいかにも、一大発見でもしたかのように指でさし示したが、わたしはそれを知りながら、子どもの指差す方向には、夕日に映えて一際だった天文科学館の時計塔が、目のあたりにそびえたって見えている。日本標準時を示す子午線通過のタワーなのである。
「さて、これからどこへ行こうかな」
と言って、わたしはためらいながら、たばこに火をつける。
「淳一、駅前の方へ出てみようか」
「うん」
 彼は気軽にうなづいた。
 古びた水族館の前にさしかかると、全網越しに、海亀のハク製が眼についた。すると彼が
「お父しゃん、淳、かめしゃん怖いねん」
と哀願するように言って、わたしに寄りそってくる。
「なんで亀さん怖いの?男のくせに…」
 わたしは問い返したあとで、ひとりふきだしてしまった。腕白盛りの彼が、いかにも助けを乞うように言ったのが可笑しかったのである。子どもにすれば、あのグロテスクの海亀が、ずっしりと四肢をかまえて、こちらを凝視している形相が異様にみえたのであろう。
 水族館をすぎると、旅館の浜側を走っている新しい国道が、ちょうど中崎堤と交差して一本道になる。ここからは舗装もよくなって、ほどなく行くと、綿江橋にさしかかる。この橋は、通称「赤い橋」とよばれているが、一方、浜寄りには、先年新しく開通した明石、岩屋間のフェリーボートの発着場に直結している。「赤い橋」も四年ほど前に橋脚を広げられ、すっかり面目をかえってしまった。だが、中ほどの欄干だけは朱色に塗って、わずかながらも昔の面影を残している。
 むかしはこの付近に遊廓街があったそうだが、それもすっかり影をひそめ、いまでは鉄筋のヘルスセンターなどがそれにかわって建っている。
 家から一粁もない道程なのに、わたしたちはここまでくるのに、三十分もかかっていた。
 陽はまだ西に傾いたまま残っていた。「赤い橋」の手前は、先年、新しく開通した明石・岩屋間のフェリーポートの発着場になっている。橋を渡ると道は交差して、浜国道が西へのびる。そして駅前までまっすぐに通ずるのが「明石銀座」とよばれる商店街である。駅前の国道二号線まで二百米ほどだが、夕方のせいなのか、日曜日というのに人通りもまばらだ。わりと道巾のある街路の両側には、みどりも濃くなった柳が垂れこめて、それぞれの店先を装っている。
 わたしはここまでやってきて、ふと、ある本屋に用件を思いついた。店の近くまでくると長男が、つないでいる手をふりきって駆け出してしまう。店頭に並べてある絵本をすかさずみつけてしまった彼は
「おばけのQたろうや!お父しゃんこれ買って!」
と、執拗にせがみだした。
「お父さんお金もってないよ」
わたしはそう言ってみたものの、彼はすでに一冊を手にして離さない。仕方なく、わたしはレジに行って、代金を支払うことにした。そして、しばらく店まと立話をしていると、彼はまた「オソマツくん」の漫画絵本を手にしてせがむのである。だがわたしは、彼をなだめて、それ以上買わなかった。
 一冊の絵本を手にした長男は、それでも小脇にはさんで嬉しそうである。いつしか陽も落ちて、街路の電光が色づきはじめていた。わたしは店主と話を切りあげ、往路とは別の道を、子どもと手をつないで帰路についた。
                                      (昭三十六・六・十二)