スイス紀行
スイスへ旅立つ前に荒川さんから下記のようなメールが届いていた。
今週はスイスは天気がいまいちですが土曜日から良くなるらしいです。
来週は最高気温が23℃最低が12℃だそうです。
Fieschに行こうと思っていたのですが峠が閉鎖される恐れがあるのと一泊せねばなら
ないのでやめて近場の山に行くことにします。
後、チューリッヒ空港で荷物をピックした後すぐに出口になるのですが
赤の出口と緑の出口があり、申告なしは緑なので緑の出口に行ってください。
そこを出たところで待っています。
万一のため電話番号を記しておきます。
自宅 0041-81-***-**** (オーストリアからかける場合)
081-***-**** (スイスからの場合)
携帯 0041-79-***-**** (オーストリアからかける場合)
079-***-**** (スイスからの場合)
荒川
本当に荒川さんらしい卒のない有難い内容だ。
8月28日土曜日出発
海外旅行は1995年のイギリス以来だ。
成田空港はその当時とは様変わりしチェックインの後はシャトルで飛行機の乗車口へと渡るようになっている。
スイスへは成田から午前10時30分発のオーストリア航空便で離陸することから始まった。
つまりウィーン空港でトランジットすることになる。
ウィーン空港に着いてみてわかったが以前に荒川さんがメールで書かれていた通り小さな空港で、ロビーの面積は木場駅構内よりも狭く、まず乗り間違うことは無かった。
ただ、行きも帰りもそうだったが、ベルトにぶら下げたキーホルダーのために金属探知機に引っかかってしまった。おまけにパソコンはカバンから出さないといけない。
これも9.11テロの影響だろうか。
ウィーン空港のロビーで乗り継ぎの飛行機を待っている時、アラブ人らしき女性が声をかけてきた。どうやらレストランの看板をバックに夫とふたりの写真を撮ってもらいたいと言っているようだった。不思議なもので英語でも日本語でもないのにボディーランゲージで理解できたことが面白かった。
飛行機は18時過ぎにチューリッヒ空港へ到着。
外はまだ真昼のように明るかった。
ベルトコンベアーで運ばれてくるトランクをピックした後、メールに書かれていたゲートを出ると、予定通り荒川さんが待っていてくれた。
今年の5月だったと思う。
荒川さんのお母さんが他界され、急遽東京に戻られた時に高田馬場であって以来だから、まるで昨日会っていたかのような感じだった。
荒川さんは空港の駐車場に向かう途中、僕が到着したことを彗ちゃん(荒川さんの奥さん)に携帯で連絡した。
荒川さんの自宅はブックス(Buchs)というスイスの東部の町で、チューリッヒからは約1時間半くらいで到着する。
初めてのスイスの荒川宅に到着。
閑静な住宅街にある4階建てのマンションで、地下に駐車場がある。
荒川宅はその3階でテラスからの眺めはスイスとリヒテンシュタインの山が見える絶景のロケーションだ。そしてこのテラスが滞在中僕の喫煙所となった。
東京の時は板橋の荒川宅へと何度か遊びに行ったことがある。
そこには、いーちゃん(荒川家の長男)が居てよく遊んだものだった。
あの頃と違うのは、いーちゃんはすっかり成長し、新しく次男の龍人が居ることだ。
部屋に入ると彗ちゃんが夕食の支度を完了して迎えてくれた。
まるで出張から帰ってきた同居人を迎えるかのようにリラックスした雰囲気で。
到着するやいなや僕が持ち帰るためのお土産にチョコレートが山盛り用意されていた。
(そのチョコレート結構評判良かったですよ。特にしんぺいちゃんには。)
僕が日本から持参したみやげ物を渡した後、夕食になったが
車中で荒川さんが「龍人の日本語がおかしい時がある」と言っていたことが早速起こった。
龍人は「おなかいっぱい」と言いながらパクパクと料理を食べていたのだ。
彗ちゃんは「おなかいっぱいなら食べなきゃいいでしょ」と言っても無視して食べ続けている。つまりは「おなかいっぱい」と「おなかへった」を逆転して言っているのだ。
荒川さんの説明が無かったら理解不能だったろう。
夕食時の話の中で荒川さんから「オーストリア航空なら機内でサンドウィッチを食べたか」と聞かれたが、「販売はしていたが食べなかった」というと「経費削減で無料サービスをやめたんだ」と言われた。話によると結構旨いらしい。帰りの便で売っていたら食べようと思っていたがそれは実現しなかった。